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そろそろカーリルについて一言いっておくか

職場の周囲では誰一人話題にしないが、カーリルがちょっとした話題を集めている。
http://calil.jp/

カーリルとは何か、は使ってもらえばわかることだし、デザインやインターフェースなど、カーリルの良い点は既に多く語られている。ここでは、個人的に気になった点を指摘しておこう。誤解のないように書いておくと、これはカーリルが駄目だとか言いたいわけではない。また、中の仕組みを知っているわけではなく、外から見た挙動から判断していることをお断りしておきたい。

「カーリルとは?」によると「カーリルは、一度の検索で、複数の図書館の蔵書とAmazonのデータベースを同時に検索するMixed Search検索を実現しました。」とのことである。しかし挙動を見る限りにおいて、これは正確な表現ではないと思う。

一例を挙げよう。
『児童虐待死亡ゼロを目指した支援のあり方について : 東京都児童福祉審議会児童虐待死亡事例等検証部会報告書』という資料がある。東京都立中央図書館で所蔵しているものだ。都立図書館の蔵書検索で見つかる。都立図書館での資料IDは5016751269で、請求記号はT/369.4/5165/2009。ちなみにNDLにも所蔵はあるので、詳細な書誌事項は NDLなり都立図書館なりのOPACで確認できる。

カーリルで(都立中央図書館を設定して)これを探してみてほしい。
結果は「関係する本がみつかりませんでした。」となる。注意してほしいのは、「所蔵なし」と表示されるわけではないことだ。通常カーリルでは、所蔵がない場合も簡単な書誌事項(と書影)が表示され、登録している図書館の所蔵が貸出可、所蔵なしなどと表示されるが、これはそうではない。

なぜこうなるか。カーリルの内部の仕組みは知らないので推測になるが、答えは簡単で、「Amazonにデータがない」からだ。Amazonを直接探してみてほしい。出てこない。
 ※ISBNがないと検索できない、という誤解をしている人がいるようなので、書いておくと例えば『東京の公共図書館―貸出しをのばすための実態調査報告 (1969年)』等はISBNがないが、カーリルで検索できる。所蔵は確認できなかったが。

数例しか確認していないので、反証が出てくれば一発でこけるのだが、上記の説明とは違いカーリルは次のような挙動をしているように思われる。
・入力語に対して「Amazon」を検索 → Amazonになければ「みつかりませんでした」
・Amazonにあれば、その検索結果(ISBNがあっても所蔵確認に失敗することがあるので、タイトルではないかと思っているが未確認)を使って、図書館の所蔵を検索
・結果を併せて表示。

カーリルで、まず書誌・書影が表示された後、追って所蔵状況が出てくるようになっていることはこの傍証である。また表示順もAmazonの検索結果と同じようだ。これは完全な結果が出てくるまで何も表示しないのと比べればはるかにユーザ志向で良いと思う。所蔵確認にはどうしても時間がかかってしまうので、妥当な動きであろう。
しかし、おそらくはAmazonの検索が先に行われていることが必要な、ある種の線形性を持った仕組みだと思われる。1回の検索操作に対しては確かに同時かもしれないが、Amazonの検索結果が最終的な結果を左右する上記のような事例がある以上、「同時に」図書館の蔵書も検索していると言うのは不正確だと思う。

だとすると「全国の図書館の蔵書情報と貸し出し状況を簡単に検索できるサービスです」というのも不適当であろう。ここで検索しているのはAmazonの取り扱い商品であり、Amazonにないものは図書館の蔵書であっても検索できていないからだ。
Amazon の検索結果に対して、図書館所蔵を表示させるグリモンやブックマークレットはこれまでにもあった。カーリルはそれと同等以上のことを全国区で(かつユーザの利用状況や利用先図書館に対応して)実装したという点で画期的であるが、図書館の蔵書情報=何を所蔵していて何を所蔵していないか、がわかるとは限らない以上、図書館の蔵書検索を標榜するのは不適当だと思う。

さて、ここで、これが何を意味しているかを考えるといささかの危機感を覚える。
カーリルでは、Amazonにデータがあれば(図書館の所蔵の有無にかかわらず)資料そのものが存在する(していた)ことはわかる。しかしAmazonにデータがなければ、単に図書館に所蔵がないということではなく、そういった「資料そのものが存在しない」かのように見えてしまうのだ。

しかし実際には先にみたように、カーリルで「見つかりません」と出ても図書館に所蔵があるものは存在するし、利用可能である。Amazonのデータは図書館の所蔵資料を包含していないにもかかわらず、Amazonのデータをベースに検索しているため、こういうことが起こる。

カーリルが出来、そして注目を集めたことで、今後類似のサービスやより発展したサービスが提供される可能性は否定できない。おそらくそのベースに使われるのはカーリルと同じくAmazonということになろう。そして、現在の図書館OPACの貧困さを考えれば、利用者が使う事実上のインターフェースがそうした Amazonベースのサービスになっていく可能性は高いし、大多数のユーザのほとんどの利用にはそれで差し支えない。しかし例えば貴重書や郷土資料、行政資料などはAmazonでの扱いはないかもしれないが、図書館で所蔵していることはあるし、館ごとの特色を出せる部分でもある。Amazon以上にニッチなニーズにも対応していくのが図書館でもある。しかし図書館の蔵書を検索するとうたっているカーリルのようなサービスで、それが「存在しない」ように見えてしまうとすると、手放しで喜べるものではない。
いずれ「カーリルでヒットしない本は(図書館にもないので)どこにもない」という壮大な誤解が常識になってしまうかもしれない。
 ※これをAmazon八分とかカーリル八分とか呼んだら流行るだろうか、いや流行るまい。

カーリルのPOPなインターフェースは、やはり今の図書館では真似できないものでもあるし、すごいと思うのも、図書館界の中からこういったものが出てこないのを嘆く声もわかる。しかし、だからといってじゃあこれと連携すればよいとか、あるいは負けないものを作ろうとかというのは、どこか浅薄な情緒的反応に思える。もちろん自館のサービスにどう展開するかを考えたうえで連携していくということはありうるわけだが、しかしAmazonのデータをベースにするシステムの危うさには、図書館であればもっと注意してもよいと思う。

個人的にカーリルを踏まえて注目しなければいけないと思っているのは、(あまり期待はしていないが)この動きである。
 日本全国書誌の在り方に関する検討会議について
 http://www.ndl.go.jp/jp/library/data/jnbconf_20100303.html

カーリルのようなサービスの基礎となる書誌情報をAmazonに依存してしまっていることが、問題の一因であることを思えば、「我が国における出版・書誌情報における基本インフラ」を考え直すことは重要である。

「日本全国書誌とその機械可読版であるJAPAN/MARCがより広く活用されることを目的として」という時点でorzとなってしまうし、確認事項とかみても誰も反対しないようなお題目が並んでいるだけ。今後何をどう検討して、どういう成果をあげるつもりなのかさっぱりわからないので期待できないのだが、全国書誌とかJAPAN/MARCをどうこうしようというレベルではなく「我が国における出版・書誌情報における基本インフラ」をきちんと考えてほしい。そのためにはNIIをこの検討に加えない理由がない。現状書誌情報のインフラとなりえているのはJAPAN/MARCではなく、TRCMARCと NACSIS-CATなのだから。
変な方向に議論が進んだり、ねじまげられたりしないことを願うのみである。
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図書館総合展の補足メモ

だいぶ遅くなってしまいましたが、図書館総合展のその後の補足を2件です。エントリがおそくなったのはひとえにブログ主が怠惰であるからに他なりません。

1. 2日目ユサコ社主催「EX Libirisが実現するサービスの統合化と利用者環境の向上」について、不明だったプレゼン冒頭の論文について、ユサコさんから情報をいただきました!! ありがとうございます。別にこちらから要求したわけではなく、ユサコさんが拙Blogを読んで、ご好意から連絡をいただいたものです。重ねて感謝。

プレゼンの内容については2日目その2のエントリをご覧ください。

さてそこでは、
P. W. Anderson More Is Different, " Science New Series, Vol. 177, No. 4047 (Aug. 4, 1972), pp. 393-396
を引用して話を進めていたのでしたが、その引用部分はが具体的にわかりました。同論文の最初のページ(393ページ)に載っています。

以下引用
***************
The behavior of large and complex aggregates of elementary particles, it turns out, is not understood in terms of a simple extrapolation of the properties of a few particles. Instead, at each level of complexity entirely new properties appear, and the understanding of the new behaviors requires research which I think is as fundamental in its nature as any other.
***************
 
英語力に自信がないので、翻訳はしません。"還元主義者(reductionist)の考えが受け入れられているようだが、科学には"fundamental laws"を求めて行われるものと、それを使って現象を解明していくものと2種類ある。物事を単純な基本法則に落とし込んでいく能力が、それらの法則からスタートして世界を再構築していく能力を含意しているわけではない。" という話の後に、上記の文が続きます。英語力の限界から、途中で読むのを断念したのですが、物理学では著名な論文のようで、"More is Different"というのはよく引用されるフレーズだとか。興味のある方は原文にあたってもらえればと思います。

2. 「10年後の図書館と大学」について、パネラーだった茂出木さんから補足のエントリが出されています。

「私が「図書館にこだわらない」と言ったわけ (図書館総合展その2)」(お茶の水女子大学附属図書館LiSA活動日誌)

「図書館という箱や建物の中で働くだけが図書館員か?」
「図書館という箱や建物の中で働いていても、ライブラリアンと言えないような人はたくさんいるじゃん!」
「図書館の経営とか運営とか未来とかに真っ向に向かい合っているのか!」

ということで、図書館員としてこれは忘れてはいかん姿勢だと思ったので、折に触れて読み返したいと思います。

(本人的には)向かい合ってるつもりでも、実は現状の自己弁護とかをしてるだけで、その先に未来はないだろおい、という人が少なからずいて、そういう人の声がまた大きかったりするのが、一番性質が悪いよねえ、と個人的に思いました。大体そういう人たちは理詰めでいくと怒るしね。

図書館総合展 2日目 その1

図書館総合展2日目その1

2日目は2つのフォーラムに参加。まず1つ目は「CLOKSS:学術コミュニティが運営する世界規模の電子ジャーナルアーカイブ」

都合により途中からの参加ですので、一部配布資料の情報も含めて書きます。講演者はVictoria Reich(Director LOCKSS Program)さん。スタンフォード大学の図書館の人でもあるようです。

<課題>
デジタルの学術コンテンツは失われるリスクが大きい
→アクセスを保証する長期間のアーカイビングが必要。
多くの長期間のアーカイビングがこの問題を解決するために設立されてきた。

CLOCKSSは他の取り組みがやっていない4つの重要なニーズを満たしている。
<CLOCKSSアーカイブの特徴>
次の4点が他とは違うCLOCKSSの特徴であり強みである。
・国際的なコミュニティによって運営されるアーカイブである。
・コンテンツは図書館によって、世界中で保持されている。
・出版者が提供しなくなってしまったコンテンツを無償でアクセスできるようにしている。
・参加者にかかるコストが低い。また寄付を受けている。

この4点を順に説明していく。

<運営体制>
CLOCKSSはアーカイブの受益者によって運営されている。理事会と諮問委員会。出版者と図書館とが、対等の立場で参加している。戦略的な決定や優先順位のつけかた等への発言権が同等 。

2007年にALAから賞をもらった。(2007 ALA ALCTS Outstanding Collaboration)この賞をもらったのはCLOKSSがはじめて。
●これ↓
http://www.ala.org/ala/mgrps/divs/alcts/awards/profrecognition/collaborationcite.cfm

Governing Boardには次のような出版者や図書館がいる。
●その内公開されるであろうスライドを参照。著名なところはほとんど入っているように見えるけど、EJ出版者事情はよく知らないので、どなたか補足を。
エルゼビア、シュプリンガーなど設立に関わってくれた出版社には感謝している。
●ここで安達先生@NIIの写真がスライドに登場。
また日本からはNIIに参加してもらっており、今日もNIIの招待でここに来る事ができて感謝している。

なぜ我々はこの図書館総合展に来たか。CLOCKSSはあなた方を必要としているからだ。皆が参加すればそれだけ発言力も増していく。CLOCKSSでは対等の立場でアーカイブの運営に発言権を持てる。是非参加してほしい。

その運営の様子を例として紹介したい。来週ニュージーランド、オーストラリアで諮問委員会がある。そこでの議題はある雑誌。OA誌だったが数年前に発刊をやめたものがある。現在ではそれを見るためには、別の有料のアーカイブサービスに参加しないといけない。つまり以前はOAタイトルで誰でも見ることができた。そして重要なタイトルだったのに、現在ではOAとしては提供されていない。今回審議対象なのはこのタイトルをCLOCKSSにいれてOAにすべきか、ということ。これを議論し投票によって決める。CLOCKSSは新しい取り組みなので、諮問委員会は電話会議やWEB会議で少なくとも年1回開催している。

<コンテンツの保存>
次にCLOCKSSでの実際のコンテンツの保存のされ方を説明したい。基盤となるテクノロジーとして LOCKSSと呼ばれるものを使っている。1998年にこの技術をはじめた。スタンフォードのデビットなんとかさん。今日も後ろに座っている。この LOCKSSはよくできたテクノロジーで、スタンフォードの教授陣に勝って、19th ACMシンポジウムで賞をもらっている。

具体的には、まず出版社からコンテンツが図書館に送られる。つまりアーカイブの完全なコピーをそれぞれの図書館が持つことになる。ライブラリーは記憶を保存する機関だし、何千年もそれをやってきている。この仕組みの中でも図書館が、自分が持っているものを保持するという点は変わらない。しかしそれぞれがコンテンツを置いておくだけでは十分ではない。CLOCKSSではそれぞれのコンテンツが置いてある場所はすべて監査されている。デジタルコンテンツは、ご承知のとおり、0と1でできているわけだが、例えばそれがひっくり返るなどして壊れることがある。1111が1110になってしまう。そうするとそのコンテンツは壊れて読めなくなってしまう。私はこれをbit rot(ビットが腐る)と呼んでいるが、正しくはdigital degradation(データの劣化)と呼ぶべきかもしれない。それぞれの場所で持っているものに対しての監査を随時やっている。それによって壊れたものが修復されることになる。つまりコンテンツが保持されている場所が世界各地に分散し冗長化されていることが重要である。そのため例えばどこかで地震などがあっても大丈夫なようになっている。集中型の保存システムだとメインの保存コンテンツが壊れるとそれがバックアップにまで広がってしまうことがある。蜘蛛の糸で例えると集中型はシングルスパイダー、つまり蜘蛛の糸1本なのに対して、我々はSpider Webである。現在の参加メンバーはアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、香港、日本にいる。今年中にヨーロッパで2つ追加される予定である。日本はコンテンツを保存している数少ないノードの一つであり大変重要である。

<無償でのアクセスの提供>
CLOCKSSでは出版社から提供されなくなったタイトル(これをトリガーと呼んでいる)について出版者から提供をうけ、無償で提供するという事をやっている。現時点で3タイトルがOAで提供中である。これらはいずれも以前は購読型のモデルで提供されていた。そのためこれらの雑誌は2箇所で見ることができる。1つはは有料で1つは CLOCKSS。CLOCKSSに入らないと、OAだったものでも見られなくなってしまうことがある。PubMed Centralは例外だが。この3誌だが、2つはSage、1つはOUPのものである。
●"Graft"、"Auto/Biography"、"Brief Treatment & Crisis Intervention"の3誌

実はCLOCKSSに来るアクセスの10パーセントはこのOUPのタイトルへのものである。実際に今アクセスしている人には、もともとこのタイトルを購読していた人もそうでない人もいる。1つ問題点として、フォーマットが変わったときにどうなるか。というのがあるが、必要ならばCLOCKSSのテクノロジーがフォーマットをマイグレーションするので、それは心配いらない。OAのコンテンツはCreativeCommonsのライセンスで提供することが可能である。

●ここでCC知ってますか、と言われたのだが、会場の反応が薄かったので、日本ではCCは知られていない、とか思われたかも知れない。これはちょっと残念。

もしあなた方が出版社とやり取りをすることがあったら是非CCを検討してほしい。いったんCCを使って、コミュニティとして保存を認めると、それ以降また交渉する必要がなくなる。つまり何か変更があった時に、また改めて交渉する必要がない。

<コスト>
CLOCKSSが法人化したのはまだ先月のこと。しかし時間をかけてコストを下げていくことを定款で決めている。実は2週間前に小規模出版からもらう料金は引き下げた。
●ここで料金表や参加している出版者のリスト等のスライド
(その出版者のリストのうち)グレーの文字のところはまだ交渉中で参加が決まっていない。ただしその中でACM(Association of Computing Machinery)は今週メンバーになった。料金を引き下げるにあたって日本の学協会が参加することに非常に期待している。

図書館のサポーティングフィーについて。他のアーカイブと比べるときわめて割安だと思う。しかしCLOCKSSはただのサービスを受けるだけでなく、参加したら運営にもかかわっていく必要がある。日本のNIIには技術的な活動をかなりしてもらっている。またコンソーシアムとして参加するとさらにディスカウントがある。

<まとめ>
CLOCKSSの4つの特徴。
・図書館と出版者が対等意参加してコミュニティを運営
・コンテンツが出版社から入手できない場合にCLOCKSSを通じて無償で提供する。
・図書館がコンテンツを保存するという役割は図書館が担うものということを再認識している。
・コストが低い。誰でも参加できる。それは特に今のような景気が悪いときに料金が高すぎて維持できなくならないようにということも考えているからである。

<質疑応答>
後藤先生@日本女子大学 が司会

高橋さん@エルゼビア:実際にOAになっている例があったが、なぜ出版社が自身でOAにしないでCLOCKSSを使っているのか。

R:出版社に聞いてほしい(笑)。OUPのものはエディターが亡くなったから続けられなかったと聞いている。OUPの方も会場にいるようなので後で補足があれば。Sageは定期購読収入では採算が取れなかったということのようである。我々としてはこの2つが大手の出版者のものであるということに驚いた。トリガーとなるものはもっと中小の出版者のコンテンツだと思っていた。

なんとかさん@文科省:図書館や出版社はどのようにこの費用負担をしているのか。

R:図書館の場合は保存の予算あるいは資料費から出していることが多い。アメリカの場合は会費のための費用をつんでいるところがあるのでそこから出している場合もある。日本は?

なんとかさん@文科省:個々の例はわからないが、聞きたいのは図書館と出版社がどのような形で経費を分担しているのかということ。

R:我々が経費をどう積算しているかというと、構築にどれぐらいかかるかとどれぐらいの支持を受けられそうか=何社の出版者、どれぐらいの数の図書館が参加しそうか。参加している出版者、図書館の頭割なので、だからもっと参加者が増えればコストが下がる。CLOCKSSのコストが安い理由としては、新しいインフラ構築をしているわけではないということがある。既存のインフラを活用しているものである。技術開発(LOCKSS)にかかったものはすべて回収済みという点もある。
どう責任分担しているかという点だが、議題を参加者に提示し議論し投票で決めている。例えばアーカイビングそのものに関する方針決定。先ほど説明したような、あるタイトルをCLOCKSSに入れるかどうかといったことは参加メンバーが決めている。

OUPの人:OUPは自分でサーバを持っていない。7割が学会誌で学会側が出版しないとしたものを運営していく金がない。Highwire Pressで運営しているので、維持していくには金がかかる。あとOUPの雑誌と言っていたが正確には学会名が入るべきだと思う。

R:もともとHighwireにも関わっていたのでにはHighwireには感謝している。

安達先生@NII:仕組みはすごく巧妙にできている。disasterに強い。しかしそういう災害もあるが、システムへの影響としては、ヒューマンエラーとかバグとかフォーマットのエラーとかもあるし、そういうものの方が大きい。フォーマットについては全てが標準化されているというものでもない。そのあたりをどうしているか。

R:一般にデジタルコンテンツへの脅威としては次の2つがあげられる。すなわちstupid humanと資金切れである。サンディエゴのスパコンのセンターでは20年間のエラーのうち75%がオペレータエラーだったという調査がある。

David:HTML やPDFの多くはスタンダードを満たしていないというのはそのとおりだが、だからといってブラウザとかは読めない表示をしてしまうということにはなっていない。なので、出版社が出した形で保存しておけば読者は読めるだろうと考えている。読めなければ出版社に文句を言えばよい。この点についてはブログで議論しているので、そちらも見ていただきたい。
http://blog.dshr.org/

早川さん@東洋大学図書館:日本の大学の学部生は英語論文を読める人が少ない。何か考えているか

R:Science Directは購読しているか。
早:yes

R:あれは全部英語でしょう。それにあえて購読料を払っているということは、それが重要だと思っているということだ。CLOCKSSはそれに対してのアクセスを担保していくことを可能にするものだ。先ほど見せたような出版者が参加しているが、この出版社リストにどこが足りないのかというと、日本の学協会出版社も同じレベルがあるのではと思っている。日本のコンテンツを保存したいという思いもある。
それから今回来日するにあたって日本語の名刺が必要だろうと思って、Googleで名刺の翻訳をした。それをスタンフォードの日本語のできるスタッフに見せてみたら正しくて驚かれた。googleで翻訳すればよいのでは(笑)翻訳の質は低いかもしれないが5年前にはこうしたものはなかった。

小野さん@一橋大学
一橋は小さい図書館だが、そうした小さい図書館でもCLOCKSSに貢献できるか。例えばこのために保存のサーバを置くようなことはできないが。

R:NIIが技術的なことはやっている。まずは参加料金が出せるのか、払えないのかどうかを教えてほしい。いったん参加すると同じ発言権を持つ。アメリカでも小規模な単科大学も入っている。その個々の参加が重要である。

小野さん@一橋大学:日本の大学は機関リポジトリもやっているが、IRのコンテンツもCLOCKSSの枠組みで保存できるか。紀要とか査読の無いものもある。

R:現時点でCLOCKSSではIRのコンテンツの保存サービスはやっていない。アメリカの人はLOCKSSの技術を使ってコミュニティベースでそれをやっているところがある。図書館が集まってやっている。IRに対しても保存をやってほしいという声もあるが、CLOCKSSはまだ若いのでまずは成長拡大してからと考えている。

R:紀要とかを出しているのであれば出版社として参加するということもできる。小さいところの出版社が出しているものこそ、保存する必要があると考えている。小さいところのコンテンツのほうがはるかに失われるリスクが高い。この出版者リストのうち、Sageをのぞくすべての出版社はいずれもスタンフォード大より長い歴史を持っている。なので日本語、小さい学協会をどうするかが関係する問題だと思う。

小野:もし非営利の団体として(商業出版者ではないものとして)参加するとすると参加料金は一番安いものになるか。

R:yes

吉田さん@東大情報基盤センター
先ほどの例だとHighwireからCLOCKSSにある時点で移ることになるが、その周知というのは?何かルールがあるか。

R:先ほどの3タイトルは全部Highwire Pressで出されていた。Highwireはスタンフォードの一部。どういう形でトリガーがかかったかということがある。この3タイトルはもともとコンテンツ自体はCLOCKSSのアーカイブにあった。出版社のほうからこれはやめるという通知を受け、それを受けて無償で提供するかどうかを理事会で検討した。CCで提供するというのは大きな転換で引き換えせない重要な決定である。CLOCKSSのルールで無償で提供するためには75%の賛成と反対が3メンバー以内でないといけない。

R:それからCrossrefへの通知も行う。利用者への通知という点では、まずは出版社のほうが通知するし、CLOCKSSのほうでもアナウンスをするしCrossrefも使うし。利用者がOAのコンテンツをどうやって入手するかというと検索エンジンか図書館のERMSということになり、あまり意識しなくても大丈夫なものだと思う。
●ERMSと言ってましたが、文脈的にはリゾルバですね。

図書館総合展 1日目

図書館総合展1日目。
フォーラム「10年後の図書館と大学」に参加してきました。

非常に内容の濃いフォーラムでした。
Twitterでの実況にチャレンジするも、途中で挫折し、申し訳ありませんでした。どろぶねがわかった範囲でここにまとめます。間違い等があれば遠慮なくご指摘を。

全体は2部構成。土屋先生の基調講演のあと、パネルディスカッションという流れ。会場は満員御礼。立ち見も多数。
 
[土屋先生 基調講演]
●相変わらずの土屋節が炸裂。ここでは臨場感を増すため、不穏当な発言もなるべく採録するという方針でww

REFORMの研究成果報告を兼ねて、10年後(2020年)の大学と図書館を語る。まあ、研究成果報告は論文書いて業績にすればよいので10年後を話す。

今日の内容を10年後に検証する人はいないので、率直にやりたい。パネルディスカッションは発言の多いタイプの図書館員、院生、出版から集めた。どんな方向に行ってもかまわない。

科研費でやったREFORM、REFORM2の研究成果。
6年やり、もう大学図書館に関する包括的な研究はすべて終わったと思っている。思っているだけです。

今日の結論は簡単。
大学図書館から研究支援や教育支援という機能はなくなり教育そのものの機能のみが残る。だからそれに向けて今から準備をしましょう。

・研究支援機能=10年後にはなくなっている。
なぜならインターネットがあり、研究に必要な資料はネットで手に入るから。紙の資料についても10年後には資料保存の効率化とかも終わっているだろう。機関リポジトリは残っているかもしれないが、図書館が残っているかどうかはわからない。

・教育支援機能もなくなる。FDとかいっているが教員は教育に図書館を使うのが下手だから。

・残るのは教育機能のみ。図書館は教育そのものをやらないといけない。今から準備すれば10年後には間に合うだろう。

大学の機能を支援するのが大学図書館というところから出発した。
大学図書館を制約する条件は何か
・研究支援機能を制約する条件
 学術情報流通の環境:EJ、リポジトリなど
 研究活動とその評価に関すること:論文業績中心主義、論文を書いて発表して業績にしないといけない。その論文の流通と保存

・教育支援機能の制約
 現在の日本の大学教育は大抵日本語で行われている。→日本語出版がどうなるか。
 大学教育のやり方:教室での講義というやり方に関する懐疑が出てきている。e-ラーニング、遠隔教育がどうなっていくか。もしかしたら携帯で勉強したいという学生が出てくるかも。そんなに向学心のある学生がいるとは思わないが。

・大学自体がおかれた社会的条件
 インターネット、知識基盤社会が進展する中では、キャンパスや教室に囲い込むということ自体が成り立たないかもしれない。


<土屋先生の個人的回顧>
2004-2006 REFORM、2007-2009 REFORM2 を経て
当時と比べると図書館から人が減った。本も減ったような気がする。特に雑誌。

 ちなみにREFORMという名にしろといったのは尾城さん@当時千葉大。確かまだしらふの時間帯だったと思う。名前はREFORMしかないというので、後から何の略称にするか考えた。

1998年に千葉大附図館長、たまたまその秋から国公私の委員長館、冬にEJのシンポジウムということで、著作権やEJの問題にかかわることになった。

図書館情報学という学問があることは知っていたが、図書館にかかわることになって改めてみて、学問としては使えないと思った。思っただけ。
2000年から国大図協のEJコンソーシアム、2002年にはIRの動きが始まる。
→やっぱり図書館情報学は使えない(と思った)なら自分でやるしかない。

と思っていたら2003年に竹内先生がきたので自分ではやらなくてもよくなった。
→竹内先生は論文をでっちあげるのがうまい。大変感謝している。

哲学をやってきて、それに飽きてきたということもあったが、学問はやはり実際の問題から理論化をしていくものだろう。そこで次の3点を目指した。
・大学図書館学を構築する。
・(大学図書館研究はもう終わったとか言っておいてなんだが)人材の養成
・現実への応用
このうち3点目の現実への応用は失敗した。考えているうちに現実がどんどん先行していった。

<CAT/ILL研究>
数字があるほうが研究っぽい。
また複写権センターとの交渉でILLについて、説明しなければいけなかった。ILLは100万件のデータがあり、3億円規模のお金が動いていた。EJには300億使っているので、それと比べれば小さいんだけど。

100万件のデータを処理するのは今ではなんでもないが、当時は大変だったので、処理する環境を用意することから始めた。これも10年の進歩

このCAT/ILL研究でわかったこと。
ILLはすばらしい。
細かいやり取りの80%以上が捕捉できる。のこりは(いかがわしい)医療関係?
効率的で、経済的で、迅速
しかし2000年以降停滞していた(当時はILLも右肩上がりが望ましいと思っていた)
グラフを見ると洋雑誌が2000年以降減り始め、和雑誌が増加傾向
前者はEJ効果でわかりやすい。でそれが相殺して停滞にみえた。
千葉大亥鼻分館での看護系の発見。

<大学図書館間協力と資源共有>
戦後復興期からの大学図書館政策
ほとんど犯罪的なJICSTの文献提供(ほとんど犯罪的、ということは犯罪でないということ)NDLの郵送でのコピー送付、外雑センター館、80年の答申をへてCAT/ILL

結果として90年代に理想的な形での資源共有が行われるようになった。(なのであとは惰性)
ところが電子化の進展、EJの到来によって迷走がはじまる。というのは電子化されてどこかにあれば原理的にはすべて共有しているようなものだから。

つまり情報資源共有のパラダイムが変化、というよりも崩壊した。

CAT/ILLは本当に「協力」だったか。
CATの共同構築の幻想:実際には一部図書館がもっぱら書誌を作成。ほとんどが流用入力。独自規格の限界。今苦しんでる
ILL:知り合いコミュニティの集合体
 やりとりを分析するとそうなる。撹乱要因は値段ぐらい。たまに知らない大学がでてくると極端に安かったり。
→ILLのないCATに存在意義はあるか。

2000年代後半になってくると電子的な学術情報流通の形がほぼ見えてきた。
←200年代前半に模索したことで見えてきた。
EJのプライシング
DLしたら利用したことになる、というイデオロギー(クリックだけなら赤ちゃんでもできる。それで何が利用だ、と)
電子資源を管理するという無謀な試み=ERMS
コンソーシアム

一方でコストのかからない営みはない
強欲資本主義的出版社、エルゼビアとかネイチャーとか、だけが悪いわけではない。
高くても買わなければ研究者が怒るわけだから。

電子の資源はどこかにあるのであれば、直接買えばよい。仲介者は不要。
=図書館は不要

<REFORMの成果を再まとめ>
ILLの分析:
 洋雑誌はEJによってアクセスが改善
 和雑誌は電子化による改善の途上(和雑誌のILLも洋に遅れて減少傾向)
 現物貸借はそもそも全体の10%しかないので忘れてもいい(かな?)
CATの共有は対等な協力ではなかった。(異論はありますが)
外国図書の購入は減っている。これはよくわからない。
国内には国際雑誌の刊行主体はない
外国ではe-book化は進展
日本にはCiNii、メディカルオンライン、J-STAGE、NDLのデジタル化ぐらいしかない。
このうち画像のものはいまどきダメ。NDLも今の話だと画像なので×
→国内出版者の電子化提供については絶望的にならざるをえない。

<REFORMの予想(もちろん全員一致ではないです)>
電子化は進む。
NDLへの電子納本も長尾先生がやるといってたからやるんでしょう。
→したがって資料提供機能は不要。80年代の答申に基づく構想は終焉を迎えた。

インターネットはもっと普遍化し、教育も電子化する。いいとか悪いとかではなくそうなる。しょうがない。するとどこでも学習、消費、生産できるようになる。イギリスでm-library(mはモバイル)という概念を仕入れたがこれはまだ広まってない。

高等教育というものの理念。グローバルな知識基盤社会における市民の育成、というものになる。

それから10年後を考えるとネットワーク世代の学生への教育のあり方を考えないといけない。Gen-Zと呼ばれる世代の生態。

対面教育の限界

日本の大学はこの期待に応えうるか。一応両論を書いておく。
 是:FDと設備があれば大丈夫
 否:しょせん日本の大学だからダメ。
個人的にはその間かなあ。

インターネット化が進む社会は原理的には大学も不要。知識基盤社会においては、知識は買える、切り売りできる。逆に常にアップデート、バージョンアップを出来るスキルを身につけないといけない。知識として教えるのではなく身につけるということが必要。

珍しく図書館に迎合した物言いをすると、これに応えうるのは大学図書館だけといっておく

[司会 竹内比呂也先生]
まさか名前が出てくると思わなかった。が、感謝しているなどというのは
土屋先生にしては最大限の賛辞であろうからありがたく受けておく。
この後、これに対するパネラーのコメント。その後休憩を入れて
パネルディスカッション。

[市古さん@慶応大学]
土屋先生がきっちりまとめてきたので、ちょっとびっくりした。10年後の図書館ということで少し考えてきたことを話す。

 <スライド:雑誌廃棄の写真>
この夏慶応理工学メディアセンターで雑誌を廃棄した6500冊くらい。以前にも信濃町でケミアブとかを捨ててきた。個人的には複雑な気分だが、捨てて何をしたかというと学習スペースをつくった。
今では真っ先に学生が来る場所であり滞在時間も長くなっている

図書館を取り巻く現状が変化している。ハーバードでも予算のカットがあった。図書館の閉鎖や大学、教育自体の変化がある。そんな中で図書館のSWOT分析をしてSとOだけ取り上げてみると、Sは組織化して蓄積・提供してきた資料、図書館員、場所。Oは人が育つ場所の提供、かと。

そしてもうひとつの機会として2008年の中教審がだした「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」がある。

大学の質が問われる時代。何によって質は保証されるのか
FDは誰のためのものか
到達度評価:高等教育で到達度はないだろう。
これだけ人が集まる割に図書館員にはパワーがないと感じる
自分たちで領域を狭めなくてもよい。

「学士過程教育の構築に向けて」にある「出口で保障されるべき能力」
に「汎用的技能」がある。この部分については図書館のストックを活用して貢献していけるのではないか。

[河村さん@東京大学大学院]
●機材のトラブルもありましたがそれを差し引いても、とにかくたくさんの留保をつけて話されるので、スピードの速さもあり、あまりちゃんと理解できていません。

論文業績中心主義の結果、図書館学の一流誌でもお作法を守れば査読に通る状態。これでは研究者のレベルが下がる。

土屋先生の話を聞いて、図書館学の研究者かつ20代として思ったこと。疑問が3つ。
・機関リポジトリは、本当に大丈夫なのか
・教育機能の強化で本当にいいのか
・紙媒体は本当になくなるのか。

リポジトリについて言えば、利用者としてはGoogleぎりぎりCiNiiで十分

教育という観点では学力低下などが言われる中、中等教育と高等教育をつなぐという観点で図書館の存在がアピールできるのでは。ただ、教育だけでは、従来の図書館の「場としての神話」を保てないのではないか。また図書館は大学内では従の位置にあるので、教員・教育に食い込むのはつらいのではないか。

研究支援機能としては部局図書館の重要性を再発見すべき。資料がなくなったときに場所を維持するのは難しいから、人に注目しないといけない。人が、秘書や助手の仕事を引き受けていくことで競争力をもてるのでは。

[前田さん@大阪大学]
最初10年後の大学と図書館というテーマをもらったとき、テーマが壮大すぎていやだった。が、断ることができず出てくることになった。

正直言って、10年後の大学と図書館、
そんなことは知らん。考えたこともないし考える気もせんわ。目の前にすることが山ほどある。朝来たときより夜帰るときに仕事が増えてる。結果、休みの日に消化するしかない。言いたいのは、結構現場は忙殺されているということ。いろいろなことを進めていけなくなっている。

で終わっても、あれなので。
今、どういう姿勢でやっているか、熱意・危機感のある大学や図書館と、日々の仕事をこなせばよいという姿勢でやっているところとでだいぶ違ってくるだろう。

熱意と危機感があれば、新しいサービスを展開する、個々の図書館員が専門性を高めサブジェクトライブラリアン的な要素を増す、単独では限界があることを知り、図書館間の連携をとっていくとかできる。こういうことが必要になってきて結果として大学の中での図書館の地位を高めていくことになるのではないか。
危機意識がないと一般の行政事務部門に吸収されていくだろう。契約は大学の契約部門、サービスは外注。新しいことは予算の範囲内でだけやる。みたいな。

知識やツールは遠隔教育でも出来るかもしれないが、問題解決能力はそういうもんじゃない。対面での教育が必要ではないか。逆に言うとそういう機能を果たせない図書館はなくなっていくのでは。

では、どうやって熱意と危機感のある図書館にしていくか。
対話しかない。粘り強く話して研究者に近づいていくしかない。

[茂出木さん@お茶の水女子大]
●竹内先生が「大学図書館界の女王」と紹介していましたw

タイトルは「今日の本音」

8/10に依頼が来た。9月には資料を送るから熟読しておけと。
土屋組も大人になったなと思った。
が、
資料が来たのが2日前。ぴらっとしたのだけ・・・

1ヶ月先のことが守れないのに10年後を語る男についていけるか!

●という枕で会場をつかむ。さすが。

10年前に何をやっていたか。
東大のリテラシー担当
当時はEJ、携帯OPAC、WoSが入ると幸せになると思っていた。図書館員のリテラシー教育ってなんだろう。学生がいろいろできるようになったら自分の仕事がなくなる?とか思っていた。でも楽しく仕事をしていた。

今を見てみると、若手に面白さを伝えてあげられるか。不安。

学習支援を重視した場所としての図書館というのがよく言われる。でも想像してほしい。きれいに環境が整った学習空間。そこに図書館員は必要か。むしろ邪魔なんじゃない。これがこの議論のこわいところ

『大学と学生』2009年11月号
 学生支援、学習環境整備という特集
そこに出てきた話、基礎学力低下、心理、就職、経済的問題、事件事故
このいろいろな問題にワンストップで応えられる窓口が必要。としょかんのとの字もない。それどころではない。

10年後に図書館あるいは図書館らしきところで誰が働くか。
数年前土屋先生は図書館員はいらんと言っていた。

図書館にしがみつきたい人はしがみついてもいいが、大事なのは職業人としてどういう仕事で幸せを感じられるか。どこで職業的な幸せを感じるか。

『ごきげんなすてご』
いまだ捨てられない本。帯までとってある。この帯にある言葉。
「あたしをひろうとおとくです」ということがキーワードになるのではないか。

●さて今の自分はひろったらおとくだろうか・・・

[杉田さん@北海道大学]
「電子化の趨勢はいくところまでいく」
やはり2日前にきた資料をみて準備した。電子化の趨勢はいくところまでいく、とあったのでそういうタイトルにしたが、今日のスライドにはなかった。

土屋先生の話にもあったILLの件数グラフ。洋雑誌が減少傾向にあるというもの
それともうひとつ、ScienceDirectの文献ダウンロード数のグラフ。2001年から急増している。これで洋雑誌はEJになったからILLが減ったという言い方をすることがあるが、SDは億単位の件数。
→単位がぜんぜん違う。なので単なる置き換えではない。

昔と比べて、非常に多く字に触れている。昔は本、新聞、雑誌、手紙などが字に触れる機会。今は、メール、携帯、ネット、ブログ、Twitter。字に触れる機会がいやというほど多くなった。

手に入るものが多くなりすぎて、ILLしてる時間がないのではないか。

「仮に研究する人生」という掲示板にあったもの
 理系:フィジカルレビューも買えなくなった
 文型大御所:EJが出てくるからおかしくなった
 文系の女子学生:ブログで論文書けばいい
これが笑い話ではないかもしれない。

『サマーウォーズ』
そこではOZという仮想世界にアクセスして生活できる。政府関係のものもOZを使っている。最近のソーシャルネットワーキングをみるとそう遠い話ではないのでは。

『マトリックス』
サマーウォーズではまだ端末から仮想世界にアクセスしていたが、マトリックスは仮想世界の中で現実同様に暮らしている。仮想現実のなかで対面コミュニケーションができるようになったときに
今の学会の大会とかはどうなっていくのか。

海外のIRの会議に行っても論文の話はない。e-research、e-scienceのインフラとしての話になっている。研究生活、学生生活にどう関わっていくかが課題ではないか。

[植村さん@東京電機大学出版局]
長尾真『???』(書名失念)
「20年30年先には出版されるものの70%が電子形態のみのものとなり、冊子体も電子で手に入るだろう。」

→出版というものをどう捉えるか。携帯小説までいれるなら8割、9割いく。しかしそうなのか。電子化というが、本からテキストを取り出して画面で読むということが果たして本を読むということなのか。

リブリエのみでゼミ、テストをやってみた。翌年、同じものの紙の本でも同じ授業をやった。リブリエはぜんぜんダメだった。
 ←それはリブリエがだめなんだよ(土屋先生)

たとえば、リブリエで「何ページ」といっても、文字の大きさを変えていたのであわなかった。

本は単なるコンテンツのパッケージではなく、システムを内包している。このことを認識していない議論が多い。本のページは一意に箇所を特定できるが、デジタルはシーケンシャルな読みを想定。ージ概念がない。今の引用のやり方は本だから特定できる。

京都大学で医局にまでいった人がオウム真理教で人を殺したりする。という話をしたら、彼らはcleverだがwiseでない」と言われた。で、今の学生は「知識はあるけど知恵はないんですね」と別の人に言った「彼らにあるのは知識じゃなく学力だ」と。別の人に言ったら「学力があっていいなあ」(笑)

出版補助金は減ってきている。しかし研究成果の評価は学会の中だけではない。社会的な評価もある。→書籍の刊行を積極的に位置づけていくことが必要
  ←「だからオンラインにしてアクセス数で評価すればいいじゃない」(土屋先生)
ネットを通して得られる情報が、本と等価なのかを考えないといけない。
  ←「だって等価以上でしょ」(土屋先生)

本:定着、不変、多様性
  間違いに責任をとる。これでしか信頼はえられない。これはanonymousでは作りえない。出版社へのクレームはすごい多い。だから本には信頼性の保障がある。
電子:変更可能、オンデマンド、カスタマイズ、アノニマス、best effort、そこそこの品質

出版コンテンツと信頼性
 図書館はベストエフォートまで扱うのか。
 機関リポジトリは情報発信か。質を保証してはじめて学術出版といえるのではないか。
 10年後でも出版がつくる信頼性システムを使って電子化するという枠組みは通用するのではないか。

[パネルディスカッション]
土屋先生が司会

土:大枠としてはあんまり意見は違わないんじゃないかというのが印象
  まず部局図書館論というのは無茶であることを確認したい。
  あれは普通の大学では無理。
  実現するためには合併して大学を大きくすればよい。がそれは今の大学図書館が部局になるだけであまり意味ない。

  人の問題についていうと教員のほうから図書館員に対してはいいずらいが
  この際いっちゃおう。

  ひとつは10年後の図書館(みたいなとこ)の人の資質はどうであるべきか
  今までの図書館機能の延長上に教育機能に収斂していくというときに。

  もうひとつはIRについて
  研究支援的な部分ではIRが大きな位置を占めるのではないか。
  10年後にIRはどうなっているか。それを運営する人として今の図書館員はどうなのか。

  人の問題についていわゆる図書館学の知識はまったく不要だと断言してみる。
  じゃあ何が必要か。知識があればなんでもいい。
  教員になれなかった学位取得者でよい。それがちょうどいい。
  実はこれが実態でもある。それぐらい専門性はほしい。

市:一方的な知識伝達の教育が変わるということが前提。変われば図書館員の場所はある。

河:土屋先生とほぼ同じ意見。専門知識が重要で今の図書館学の知識はいらない。助手みたいな印象を持っている。

前:研究者との距離を縮めるにつきる。助手みたいないないと回らん人にならないと。

茂:腰が軽い、動ける人
  ひとあたりのよい人
  はったりがきく人
  それと癒し系がいけるんじゃないか。
  専門馬鹿でない、頭のいい図書館員

土:それは10年後の教員にも必要。
  図書館員よりも教員に必要。今教員にあるのははったりだけ

杉:専門分野をもって、その情報流通をわかって図書館を切り盛りしていける先生
採用のほうも院生バイトから。図書館員が専門をもつのではなく、もともと専門のある人で、情報流通とかがわかる人がよい。

植:経営センス。それが欠落しているために周りに流されている。学生、研究者のマーケットに対して主張できればよかったのに。

土:パネラーが国立大学とでかい私立大なので、どこまで普遍的かという問題はあるが、国立大学が今の私立のように、図書館員がどっか別の部署に行くようになったらどうなるか。今の中堅どころの人とか。

前:即答できない

茂:個人的にはどうとも思わない。図書館にこだわらない。
  ただ図書館員としてがんばっている部下を見ていると、それをむりやり引っぺがしてというのは、大学としていいのかと思うが

杉:適材適所であれば別によい。

植:指定管理者とか委託の話がREFORMにはないなあと思っていた。

土:紙はなくなる。なので手作業はなくなるという前提。だから派遣も何もない。

植:大学経費でやっているのでアメリカは出版と図書館の融合という方向があるが、
日本は中途半端なので。

土:やっぱり人の話はしにくい。
  もうひとつのIRがどうなるかという話。機関リポジトリの出版機能。
  図書館がそれをやるというのは出版機能とどういう話になるのか

杉:IRにはその大学から出るもの、紀要、学位論文というそれがオリジナルというコンテンツが一方にある。他方他で出されたものの複製がある。これはだいぶ違う。
  前者はまがりなりにも出版だった。それをIRでやるというのは出版であり、プロに学ぶところがたくさんある。

土:リポジトリに最近熱心だった茂出木さん。

茂:リポジトリに熱心だったことはないです。仕事としてはやる。
なんで裏エルゼビアのようなことをやるのかという疑問はある。
あと、図書館員はなんでいつも過去にさかのぼってひいこらやるのか。

土:10年後はどうなる?

茂:ひいこら仕事がなくなったときにどうなるのか。IRがひいこら仕事でなければ希望の星かもしれない。

前:ひいこらは探せばいくらでもある。阪大はこないだようやく大学外のものの収集が認められた。まだまだ小規模のところはリポジトリを立ててないので、そういうのが10年続くのでは。
  IRの仕事をして教員との関係に触れるということが大きい

河:大学レベルのは必要なくて、NIIとか筆者のHPとGoogleでよいのでは。

杉:読者的にはどっかにあればよいというのは確か。でもIRの担当は読者はみてない。先生が喜べばよい。HPにあればよくて、それをできない人の受け皿になればよい。

河:それはニッチを相手にしているように思えるが、業績中心になるとニッチはなくなるのでは。

土:業績中心主義が進むと、評価するのが必要になってくる。すると評価する側は個人のHPとかにあると困る。大学側としてはリポジトリに全部並べておくというのは管理上幸せ。論文中心主義でいくと、リポジトリに行き着く。

茂:そういう世話をするんですか。

土:そうみるか。場を与えていると見るか。

茂:ある種のワークシェア?

土:ワークシェアではなく得意不得意の分業

杉:業績評価だけなら本文いらないのでは

土:本文がないと確認できない。

植:査読によって評価を担保するのか。紀要とかもあると思うが。

土:両方混在しているからプラットフォームとしての評価が低いということにならない
両方がわかるということには意味がある。
評価に直結させれば問題ない。乗っけなかった人は業績ゼロ

杉:コンテンツを集めるのは確かに大変

土:それをひいこらととるか、創造的な仕事ととるか

植:それは図書館の仕事なの?

杉:確かにひいこら仕事ではある。ただ本の貸し借りという接触はこれまであったが、それに対して先生との接触が増すことで、他の図書館活動に役立っている部分があると思う。

植:それは出版の編集の仕事。それなら大学出版がIRをやったほうがよいものができる。手もみして下手にでる資質を持ってる。

土:そういう資質をもった図書館員はどれぐらいいるか

前:やればできる。やっていないだけで慣れれば出てくる。

茂:東大では先生の相手はつまらなかった。お茶大ではそうでもない。つまり客による。
杉:先生の個人差は確かにある。しかしやるとそれを面白がる図書館員は増えてきている。

市:慶応では先生との間はフレンドリー。いい関係が築けている。

河:任期つきのポストとかもあるので大学への忠誠心はないのではないか。
だから大学より、個人とかNIIとかの方がよいとやはり思う。

(フロアから)逸村先生:
NIIの次期のCSIでリサーチIDのようなものを院生からふり、個人に割り当ててトラップするのを考えている。大学移っても平気なことを考えている。

土:それはよさそうだけど、いやな感じもある。

逸:研究者としてのアイデンティティ、よってたつところの問題。

(フロア)南さん@九大
アメリカのライブラリアンみたいな専門性の方向に行ってほしいがそれは図書館員としてどうなのか。

市:論文を書くという経験は必要。

前:研究の時間が必要。

茂:おちこぼれ研究者が図書館員というのは違和感がある。
修士号をとったからといって未来があるように見えない。
別の形のプロフェッショナル精神があるのでは。

杉:いま働いている人にもうひとつ専門を持てというのは無理。
採用の時点から。
  あと、研究者崩れが来ても活躍できる場は今の図書館にはないのでは。
活躍できる場をつくることも必要。

植:マストなのはIT能力ではないか。

杉:プログラマの能力は要らないが、どういう風に動いているかがわかることは必要。

前:仕組みを教員に説明できる能力は必須。

市:ITは必要。慶応にはシステムライブラリアンはいるが、対話ができるかどうかは別

植:公共図と大学図では人種が別。

前:大学の方がシビアな環境にいるということ。

土:公共はまだ紙だけでいけるから。

<締め>
土:大学図書館研究は、客観的な研究はすべてやってしまった。
やらないといけないのは、人の話であり、
どうやって次の大学図書館を作っていくかという話だろう。

図書館総合展の予定

どろぶねの図書館総合展の出没予定は以下の通りです。
人見知りですので、お気軽に声をおかけください。

11/10 13:00~17:00 フォーラム「10年後の図書館と大学」

※職場を12:00ジャストに出ても13:00には間に合わない可能性が高いので、 5~10分遅れての参加となる見込みです。

 17:00以降 会場をぶらぶら

11/11 13:00~14:30 フォーラム「CLOCKSS:図書館コミュニティが運営する世界規模の電子ジャーナルアーカイブ」
※同上、少し遅れての参加となる見込み。

 14:30~15:30 DRFtech-Karuizawa報告会を見に行くかも。
 15:30~17:00 フォーラム「Ex Librisが実現するサービスの統合化と利用者環境の向上」
 17:00以降 会場をぶらぶら

11/12 10:30~12:00 フォーラム「図書館資料を100パーセント有効活用!「OPACを超える瞬間~図書館の現場から」

 12:00~13:00 どこかでお昼
 13:00~ 職場に戻ります。茂出木さんのライトニングトークを見られないのが残念。

計4つのフォーラムに参加します。
電源、ネットワーク、体調等、可能なら実況するつもりです。
ハッシュタグを主催者ないしそれに近いところで決めてほしいなあ。
http://twitter.com/dorobunemk2
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