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図書館総合展 1日目

図書館総合展1日目。
フォーラム「10年後の図書館と大学」に参加してきました。

非常に内容の濃いフォーラムでした。
Twitterでの実況にチャレンジするも、途中で挫折し、申し訳ありませんでした。どろぶねがわかった範囲でここにまとめます。間違い等があれば遠慮なくご指摘を。

全体は2部構成。土屋先生の基調講演のあと、パネルディスカッションという流れ。会場は満員御礼。立ち見も多数。
 
[土屋先生 基調講演]
●相変わらずの土屋節が炸裂。ここでは臨場感を増すため、不穏当な発言もなるべく採録するという方針でww

REFORMの研究成果報告を兼ねて、10年後(2020年)の大学と図書館を語る。まあ、研究成果報告は論文書いて業績にすればよいので10年後を話す。

今日の内容を10年後に検証する人はいないので、率直にやりたい。パネルディスカッションは発言の多いタイプの図書館員、院生、出版から集めた。どんな方向に行ってもかまわない。

科研費でやったREFORM、REFORM2の研究成果。
6年やり、もう大学図書館に関する包括的な研究はすべて終わったと思っている。思っているだけです。

今日の結論は簡単。
大学図書館から研究支援や教育支援という機能はなくなり教育そのものの機能のみが残る。だからそれに向けて今から準備をしましょう。

・研究支援機能=10年後にはなくなっている。
なぜならインターネットがあり、研究に必要な資料はネットで手に入るから。紙の資料についても10年後には資料保存の効率化とかも終わっているだろう。機関リポジトリは残っているかもしれないが、図書館が残っているかどうかはわからない。

・教育支援機能もなくなる。FDとかいっているが教員は教育に図書館を使うのが下手だから。

・残るのは教育機能のみ。図書館は教育そのものをやらないといけない。今から準備すれば10年後には間に合うだろう。

大学の機能を支援するのが大学図書館というところから出発した。
大学図書館を制約する条件は何か
・研究支援機能を制約する条件
 学術情報流通の環境:EJ、リポジトリなど
 研究活動とその評価に関すること:論文業績中心主義、論文を書いて発表して業績にしないといけない。その論文の流通と保存

・教育支援機能の制約
 現在の日本の大学教育は大抵日本語で行われている。→日本語出版がどうなるか。
 大学教育のやり方:教室での講義というやり方に関する懐疑が出てきている。e-ラーニング、遠隔教育がどうなっていくか。もしかしたら携帯で勉強したいという学生が出てくるかも。そんなに向学心のある学生がいるとは思わないが。

・大学自体がおかれた社会的条件
 インターネット、知識基盤社会が進展する中では、キャンパスや教室に囲い込むということ自体が成り立たないかもしれない。


<土屋先生の個人的回顧>
2004-2006 REFORM、2007-2009 REFORM2 を経て
当時と比べると図書館から人が減った。本も減ったような気がする。特に雑誌。

 ちなみにREFORMという名にしろといったのは尾城さん@当時千葉大。確かまだしらふの時間帯だったと思う。名前はREFORMしかないというので、後から何の略称にするか考えた。

1998年に千葉大附図館長、たまたまその秋から国公私の委員長館、冬にEJのシンポジウムということで、著作権やEJの問題にかかわることになった。

図書館情報学という学問があることは知っていたが、図書館にかかわることになって改めてみて、学問としては使えないと思った。思っただけ。
2000年から国大図協のEJコンソーシアム、2002年にはIRの動きが始まる。
→やっぱり図書館情報学は使えない(と思った)なら自分でやるしかない。

と思っていたら2003年に竹内先生がきたので自分ではやらなくてもよくなった。
→竹内先生は論文をでっちあげるのがうまい。大変感謝している。

哲学をやってきて、それに飽きてきたということもあったが、学問はやはり実際の問題から理論化をしていくものだろう。そこで次の3点を目指した。
・大学図書館学を構築する。
・(大学図書館研究はもう終わったとか言っておいてなんだが)人材の養成
・現実への応用
このうち3点目の現実への応用は失敗した。考えているうちに現実がどんどん先行していった。

<CAT/ILL研究>
数字があるほうが研究っぽい。
また複写権センターとの交渉でILLについて、説明しなければいけなかった。ILLは100万件のデータがあり、3億円規模のお金が動いていた。EJには300億使っているので、それと比べれば小さいんだけど。

100万件のデータを処理するのは今ではなんでもないが、当時は大変だったので、処理する環境を用意することから始めた。これも10年の進歩

このCAT/ILL研究でわかったこと。
ILLはすばらしい。
細かいやり取りの80%以上が捕捉できる。のこりは(いかがわしい)医療関係?
効率的で、経済的で、迅速
しかし2000年以降停滞していた(当時はILLも右肩上がりが望ましいと思っていた)
グラフを見ると洋雑誌が2000年以降減り始め、和雑誌が増加傾向
前者はEJ効果でわかりやすい。でそれが相殺して停滞にみえた。
千葉大亥鼻分館での看護系の発見。

<大学図書館間協力と資源共有>
戦後復興期からの大学図書館政策
ほとんど犯罪的なJICSTの文献提供(ほとんど犯罪的、ということは犯罪でないということ)NDLの郵送でのコピー送付、外雑センター館、80年の答申をへてCAT/ILL

結果として90年代に理想的な形での資源共有が行われるようになった。(なのであとは惰性)
ところが電子化の進展、EJの到来によって迷走がはじまる。というのは電子化されてどこかにあれば原理的にはすべて共有しているようなものだから。

つまり情報資源共有のパラダイムが変化、というよりも崩壊した。

CAT/ILLは本当に「協力」だったか。
CATの共同構築の幻想:実際には一部図書館がもっぱら書誌を作成。ほとんどが流用入力。独自規格の限界。今苦しんでる
ILL:知り合いコミュニティの集合体
 やりとりを分析するとそうなる。撹乱要因は値段ぐらい。たまに知らない大学がでてくると極端に安かったり。
→ILLのないCATに存在意義はあるか。

2000年代後半になってくると電子的な学術情報流通の形がほぼ見えてきた。
←200年代前半に模索したことで見えてきた。
EJのプライシング
DLしたら利用したことになる、というイデオロギー(クリックだけなら赤ちゃんでもできる。それで何が利用だ、と)
電子資源を管理するという無謀な試み=ERMS
コンソーシアム

一方でコストのかからない営みはない
強欲資本主義的出版社、エルゼビアとかネイチャーとか、だけが悪いわけではない。
高くても買わなければ研究者が怒るわけだから。

電子の資源はどこかにあるのであれば、直接買えばよい。仲介者は不要。
=図書館は不要

<REFORMの成果を再まとめ>
ILLの分析:
 洋雑誌はEJによってアクセスが改善
 和雑誌は電子化による改善の途上(和雑誌のILLも洋に遅れて減少傾向)
 現物貸借はそもそも全体の10%しかないので忘れてもいい(かな?)
CATの共有は対等な協力ではなかった。(異論はありますが)
外国図書の購入は減っている。これはよくわからない。
国内には国際雑誌の刊行主体はない
外国ではe-book化は進展
日本にはCiNii、メディカルオンライン、J-STAGE、NDLのデジタル化ぐらいしかない。
このうち画像のものはいまどきダメ。NDLも今の話だと画像なので×
→国内出版者の電子化提供については絶望的にならざるをえない。

<REFORMの予想(もちろん全員一致ではないです)>
電子化は進む。
NDLへの電子納本も長尾先生がやるといってたからやるんでしょう。
→したがって資料提供機能は不要。80年代の答申に基づく構想は終焉を迎えた。

インターネットはもっと普遍化し、教育も電子化する。いいとか悪いとかではなくそうなる。しょうがない。するとどこでも学習、消費、生産できるようになる。イギリスでm-library(mはモバイル)という概念を仕入れたがこれはまだ広まってない。

高等教育というものの理念。グローバルな知識基盤社会における市民の育成、というものになる。

それから10年後を考えるとネットワーク世代の学生への教育のあり方を考えないといけない。Gen-Zと呼ばれる世代の生態。

対面教育の限界

日本の大学はこの期待に応えうるか。一応両論を書いておく。
 是:FDと設備があれば大丈夫
 否:しょせん日本の大学だからダメ。
個人的にはその間かなあ。

インターネット化が進む社会は原理的には大学も不要。知識基盤社会においては、知識は買える、切り売りできる。逆に常にアップデート、バージョンアップを出来るスキルを身につけないといけない。知識として教えるのではなく身につけるということが必要。

珍しく図書館に迎合した物言いをすると、これに応えうるのは大学図書館だけといっておく

[司会 竹内比呂也先生]
まさか名前が出てくると思わなかった。が、感謝しているなどというのは
土屋先生にしては最大限の賛辞であろうからありがたく受けておく。
この後、これに対するパネラーのコメント。その後休憩を入れて
パネルディスカッション。

[市古さん@慶応大学]
土屋先生がきっちりまとめてきたので、ちょっとびっくりした。10年後の図書館ということで少し考えてきたことを話す。

 <スライド:雑誌廃棄の写真>
この夏慶応理工学メディアセンターで雑誌を廃棄した6500冊くらい。以前にも信濃町でケミアブとかを捨ててきた。個人的には複雑な気分だが、捨てて何をしたかというと学習スペースをつくった。
今では真っ先に学生が来る場所であり滞在時間も長くなっている

図書館を取り巻く現状が変化している。ハーバードでも予算のカットがあった。図書館の閉鎖や大学、教育自体の変化がある。そんな中で図書館のSWOT分析をしてSとOだけ取り上げてみると、Sは組織化して蓄積・提供してきた資料、図書館員、場所。Oは人が育つ場所の提供、かと。

そしてもうひとつの機会として2008年の中教審がだした「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」がある。

大学の質が問われる時代。何によって質は保証されるのか
FDは誰のためのものか
到達度評価:高等教育で到達度はないだろう。
これだけ人が集まる割に図書館員にはパワーがないと感じる
自分たちで領域を狭めなくてもよい。

「学士過程教育の構築に向けて」にある「出口で保障されるべき能力」
に「汎用的技能」がある。この部分については図書館のストックを活用して貢献していけるのではないか。

[河村さん@東京大学大学院]
●機材のトラブルもありましたがそれを差し引いても、とにかくたくさんの留保をつけて話されるので、スピードの速さもあり、あまりちゃんと理解できていません。

論文業績中心主義の結果、図書館学の一流誌でもお作法を守れば査読に通る状態。これでは研究者のレベルが下がる。

土屋先生の話を聞いて、図書館学の研究者かつ20代として思ったこと。疑問が3つ。
・機関リポジトリは、本当に大丈夫なのか
・教育機能の強化で本当にいいのか
・紙媒体は本当になくなるのか。

リポジトリについて言えば、利用者としてはGoogleぎりぎりCiNiiで十分

教育という観点では学力低下などが言われる中、中等教育と高等教育をつなぐという観点で図書館の存在がアピールできるのでは。ただ、教育だけでは、従来の図書館の「場としての神話」を保てないのではないか。また図書館は大学内では従の位置にあるので、教員・教育に食い込むのはつらいのではないか。

研究支援機能としては部局図書館の重要性を再発見すべき。資料がなくなったときに場所を維持するのは難しいから、人に注目しないといけない。人が、秘書や助手の仕事を引き受けていくことで競争力をもてるのでは。

[前田さん@大阪大学]
最初10年後の大学と図書館というテーマをもらったとき、テーマが壮大すぎていやだった。が、断ることができず出てくることになった。

正直言って、10年後の大学と図書館、
そんなことは知らん。考えたこともないし考える気もせんわ。目の前にすることが山ほどある。朝来たときより夜帰るときに仕事が増えてる。結果、休みの日に消化するしかない。言いたいのは、結構現場は忙殺されているということ。いろいろなことを進めていけなくなっている。

で終わっても、あれなので。
今、どういう姿勢でやっているか、熱意・危機感のある大学や図書館と、日々の仕事をこなせばよいという姿勢でやっているところとでだいぶ違ってくるだろう。

熱意と危機感があれば、新しいサービスを展開する、個々の図書館員が専門性を高めサブジェクトライブラリアン的な要素を増す、単独では限界があることを知り、図書館間の連携をとっていくとかできる。こういうことが必要になってきて結果として大学の中での図書館の地位を高めていくことになるのではないか。
危機意識がないと一般の行政事務部門に吸収されていくだろう。契約は大学の契約部門、サービスは外注。新しいことは予算の範囲内でだけやる。みたいな。

知識やツールは遠隔教育でも出来るかもしれないが、問題解決能力はそういうもんじゃない。対面での教育が必要ではないか。逆に言うとそういう機能を果たせない図書館はなくなっていくのでは。

では、どうやって熱意と危機感のある図書館にしていくか。
対話しかない。粘り強く話して研究者に近づいていくしかない。

[茂出木さん@お茶の水女子大]
●竹内先生が「大学図書館界の女王」と紹介していましたw

タイトルは「今日の本音」

8/10に依頼が来た。9月には資料を送るから熟読しておけと。
土屋組も大人になったなと思った。
が、
資料が来たのが2日前。ぴらっとしたのだけ・・・

1ヶ月先のことが守れないのに10年後を語る男についていけるか!

●という枕で会場をつかむ。さすが。

10年前に何をやっていたか。
東大のリテラシー担当
当時はEJ、携帯OPAC、WoSが入ると幸せになると思っていた。図書館員のリテラシー教育ってなんだろう。学生がいろいろできるようになったら自分の仕事がなくなる?とか思っていた。でも楽しく仕事をしていた。

今を見てみると、若手に面白さを伝えてあげられるか。不安。

学習支援を重視した場所としての図書館というのがよく言われる。でも想像してほしい。きれいに環境が整った学習空間。そこに図書館員は必要か。むしろ邪魔なんじゃない。これがこの議論のこわいところ

『大学と学生』2009年11月号
 学生支援、学習環境整備という特集
そこに出てきた話、基礎学力低下、心理、就職、経済的問題、事件事故
このいろいろな問題にワンストップで応えられる窓口が必要。としょかんのとの字もない。それどころではない。

10年後に図書館あるいは図書館らしきところで誰が働くか。
数年前土屋先生は図書館員はいらんと言っていた。

図書館にしがみつきたい人はしがみついてもいいが、大事なのは職業人としてどういう仕事で幸せを感じられるか。どこで職業的な幸せを感じるか。

『ごきげんなすてご』
いまだ捨てられない本。帯までとってある。この帯にある言葉。
「あたしをひろうとおとくです」ということがキーワードになるのではないか。

●さて今の自分はひろったらおとくだろうか・・・

[杉田さん@北海道大学]
「電子化の趨勢はいくところまでいく」
やはり2日前にきた資料をみて準備した。電子化の趨勢はいくところまでいく、とあったのでそういうタイトルにしたが、今日のスライドにはなかった。

土屋先生の話にもあったILLの件数グラフ。洋雑誌が減少傾向にあるというもの
それともうひとつ、ScienceDirectの文献ダウンロード数のグラフ。2001年から急増している。これで洋雑誌はEJになったからILLが減ったという言い方をすることがあるが、SDは億単位の件数。
→単位がぜんぜん違う。なので単なる置き換えではない。

昔と比べて、非常に多く字に触れている。昔は本、新聞、雑誌、手紙などが字に触れる機会。今は、メール、携帯、ネット、ブログ、Twitter。字に触れる機会がいやというほど多くなった。

手に入るものが多くなりすぎて、ILLしてる時間がないのではないか。

「仮に研究する人生」という掲示板にあったもの
 理系:フィジカルレビューも買えなくなった
 文型大御所:EJが出てくるからおかしくなった
 文系の女子学生:ブログで論文書けばいい
これが笑い話ではないかもしれない。

『サマーウォーズ』
そこではOZという仮想世界にアクセスして生活できる。政府関係のものもOZを使っている。最近のソーシャルネットワーキングをみるとそう遠い話ではないのでは。

『マトリックス』
サマーウォーズではまだ端末から仮想世界にアクセスしていたが、マトリックスは仮想世界の中で現実同様に暮らしている。仮想現実のなかで対面コミュニケーションができるようになったときに
今の学会の大会とかはどうなっていくのか。

海外のIRの会議に行っても論文の話はない。e-research、e-scienceのインフラとしての話になっている。研究生活、学生生活にどう関わっていくかが課題ではないか。

[植村さん@東京電機大学出版局]
長尾真『???』(書名失念)
「20年30年先には出版されるものの70%が電子形態のみのものとなり、冊子体も電子で手に入るだろう。」

→出版というものをどう捉えるか。携帯小説までいれるなら8割、9割いく。しかしそうなのか。電子化というが、本からテキストを取り出して画面で読むということが果たして本を読むということなのか。

リブリエのみでゼミ、テストをやってみた。翌年、同じものの紙の本でも同じ授業をやった。リブリエはぜんぜんダメだった。
 ←それはリブリエがだめなんだよ(土屋先生)

たとえば、リブリエで「何ページ」といっても、文字の大きさを変えていたのであわなかった。

本は単なるコンテンツのパッケージではなく、システムを内包している。このことを認識していない議論が多い。本のページは一意に箇所を特定できるが、デジタルはシーケンシャルな読みを想定。ージ概念がない。今の引用のやり方は本だから特定できる。

京都大学で医局にまでいった人がオウム真理教で人を殺したりする。という話をしたら、彼らはcleverだがwiseでない」と言われた。で、今の学生は「知識はあるけど知恵はないんですね」と別の人に言った「彼らにあるのは知識じゃなく学力だ」と。別の人に言ったら「学力があっていいなあ」(笑)

出版補助金は減ってきている。しかし研究成果の評価は学会の中だけではない。社会的な評価もある。→書籍の刊行を積極的に位置づけていくことが必要
  ←「だからオンラインにしてアクセス数で評価すればいいじゃない」(土屋先生)
ネットを通して得られる情報が、本と等価なのかを考えないといけない。
  ←「だって等価以上でしょ」(土屋先生)

本:定着、不変、多様性
  間違いに責任をとる。これでしか信頼はえられない。これはanonymousでは作りえない。出版社へのクレームはすごい多い。だから本には信頼性の保障がある。
電子:変更可能、オンデマンド、カスタマイズ、アノニマス、best effort、そこそこの品質

出版コンテンツと信頼性
 図書館はベストエフォートまで扱うのか。
 機関リポジトリは情報発信か。質を保証してはじめて学術出版といえるのではないか。
 10年後でも出版がつくる信頼性システムを使って電子化するという枠組みは通用するのではないか。

[パネルディスカッション]
土屋先生が司会

土:大枠としてはあんまり意見は違わないんじゃないかというのが印象
  まず部局図書館論というのは無茶であることを確認したい。
  あれは普通の大学では無理。
  実現するためには合併して大学を大きくすればよい。がそれは今の大学図書館が部局になるだけであまり意味ない。

  人の問題についていうと教員のほうから図書館員に対してはいいずらいが
  この際いっちゃおう。

  ひとつは10年後の図書館(みたいなとこ)の人の資質はどうであるべきか
  今までの図書館機能の延長上に教育機能に収斂していくというときに。

  もうひとつはIRについて
  研究支援的な部分ではIRが大きな位置を占めるのではないか。
  10年後にIRはどうなっているか。それを運営する人として今の図書館員はどうなのか。

  人の問題についていわゆる図書館学の知識はまったく不要だと断言してみる。
  じゃあ何が必要か。知識があればなんでもいい。
  教員になれなかった学位取得者でよい。それがちょうどいい。
  実はこれが実態でもある。それぐらい専門性はほしい。

市:一方的な知識伝達の教育が変わるということが前提。変われば図書館員の場所はある。

河:土屋先生とほぼ同じ意見。専門知識が重要で今の図書館学の知識はいらない。助手みたいな印象を持っている。

前:研究者との距離を縮めるにつきる。助手みたいないないと回らん人にならないと。

茂:腰が軽い、動ける人
  ひとあたりのよい人
  はったりがきく人
  それと癒し系がいけるんじゃないか。
  専門馬鹿でない、頭のいい図書館員

土:それは10年後の教員にも必要。
  図書館員よりも教員に必要。今教員にあるのははったりだけ

杉:専門分野をもって、その情報流通をわかって図書館を切り盛りしていける先生
採用のほうも院生バイトから。図書館員が専門をもつのではなく、もともと専門のある人で、情報流通とかがわかる人がよい。

植:経営センス。それが欠落しているために周りに流されている。学生、研究者のマーケットに対して主張できればよかったのに。

土:パネラーが国立大学とでかい私立大なので、どこまで普遍的かという問題はあるが、国立大学が今の私立のように、図書館員がどっか別の部署に行くようになったらどうなるか。今の中堅どころの人とか。

前:即答できない

茂:個人的にはどうとも思わない。図書館にこだわらない。
  ただ図書館員としてがんばっている部下を見ていると、それをむりやり引っぺがしてというのは、大学としていいのかと思うが

杉:適材適所であれば別によい。

植:指定管理者とか委託の話がREFORMにはないなあと思っていた。

土:紙はなくなる。なので手作業はなくなるという前提。だから派遣も何もない。

植:大学経費でやっているのでアメリカは出版と図書館の融合という方向があるが、
日本は中途半端なので。

土:やっぱり人の話はしにくい。
  もうひとつのIRがどうなるかという話。機関リポジトリの出版機能。
  図書館がそれをやるというのは出版機能とどういう話になるのか

杉:IRにはその大学から出るもの、紀要、学位論文というそれがオリジナルというコンテンツが一方にある。他方他で出されたものの複製がある。これはだいぶ違う。
  前者はまがりなりにも出版だった。それをIRでやるというのは出版であり、プロに学ぶところがたくさんある。

土:リポジトリに最近熱心だった茂出木さん。

茂:リポジトリに熱心だったことはないです。仕事としてはやる。
なんで裏エルゼビアのようなことをやるのかという疑問はある。
あと、図書館員はなんでいつも過去にさかのぼってひいこらやるのか。

土:10年後はどうなる?

茂:ひいこら仕事がなくなったときにどうなるのか。IRがひいこら仕事でなければ希望の星かもしれない。

前:ひいこらは探せばいくらでもある。阪大はこないだようやく大学外のものの収集が認められた。まだまだ小規模のところはリポジトリを立ててないので、そういうのが10年続くのでは。
  IRの仕事をして教員との関係に触れるということが大きい

河:大学レベルのは必要なくて、NIIとか筆者のHPとGoogleでよいのでは。

杉:読者的にはどっかにあればよいというのは確か。でもIRの担当は読者はみてない。先生が喜べばよい。HPにあればよくて、それをできない人の受け皿になればよい。

河:それはニッチを相手にしているように思えるが、業績中心になるとニッチはなくなるのでは。

土:業績中心主義が進むと、評価するのが必要になってくる。すると評価する側は個人のHPとかにあると困る。大学側としてはリポジトリに全部並べておくというのは管理上幸せ。論文中心主義でいくと、リポジトリに行き着く。

茂:そういう世話をするんですか。

土:そうみるか。場を与えていると見るか。

茂:ある種のワークシェア?

土:ワークシェアではなく得意不得意の分業

杉:業績評価だけなら本文いらないのでは

土:本文がないと確認できない。

植:査読によって評価を担保するのか。紀要とかもあると思うが。

土:両方混在しているからプラットフォームとしての評価が低いということにならない
両方がわかるということには意味がある。
評価に直結させれば問題ない。乗っけなかった人は業績ゼロ

杉:コンテンツを集めるのは確かに大変

土:それをひいこらととるか、創造的な仕事ととるか

植:それは図書館の仕事なの?

杉:確かにひいこら仕事ではある。ただ本の貸し借りという接触はこれまであったが、それに対して先生との接触が増すことで、他の図書館活動に役立っている部分があると思う。

植:それは出版の編集の仕事。それなら大学出版がIRをやったほうがよいものができる。手もみして下手にでる資質を持ってる。

土:そういう資質をもった図書館員はどれぐらいいるか

前:やればできる。やっていないだけで慣れれば出てくる。

茂:東大では先生の相手はつまらなかった。お茶大ではそうでもない。つまり客による。
杉:先生の個人差は確かにある。しかしやるとそれを面白がる図書館員は増えてきている。

市:慶応では先生との間はフレンドリー。いい関係が築けている。

河:任期つきのポストとかもあるので大学への忠誠心はないのではないか。
だから大学より、個人とかNIIとかの方がよいとやはり思う。

(フロアから)逸村先生:
NIIの次期のCSIでリサーチIDのようなものを院生からふり、個人に割り当ててトラップするのを考えている。大学移っても平気なことを考えている。

土:それはよさそうだけど、いやな感じもある。

逸:研究者としてのアイデンティティ、よってたつところの問題。

(フロア)南さん@九大
アメリカのライブラリアンみたいな専門性の方向に行ってほしいがそれは図書館員としてどうなのか。

市:論文を書くという経験は必要。

前:研究の時間が必要。

茂:おちこぼれ研究者が図書館員というのは違和感がある。
修士号をとったからといって未来があるように見えない。
別の形のプロフェッショナル精神があるのでは。

杉:いま働いている人にもうひとつ専門を持てというのは無理。
採用の時点から。
  あと、研究者崩れが来ても活躍できる場は今の図書館にはないのでは。
活躍できる場をつくることも必要。

植:マストなのはIT能力ではないか。

杉:プログラマの能力は要らないが、どういう風に動いているかがわかることは必要。

前:仕組みを教員に説明できる能力は必須。

市:ITは必要。慶応にはシステムライブラリアンはいるが、対話ができるかどうかは別

植:公共図と大学図では人種が別。

前:大学の方がシビアな環境にいるということ。

土:公共はまだ紙だけでいけるから。

<締め>
土:大学図書館研究は、客観的な研究はすべてやってしまった。
やらないといけないのは、人の話であり、
どうやって次の大学図書館を作っていくかという話だろう。

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