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図書館総合展 1日目

図書館総合展1日目。
フォーラム「10年後の図書館と大学」に参加してきました。

非常に内容の濃いフォーラムでした。
Twitterでの実況にチャレンジするも、途中で挫折し、申し訳ありませんでした。どろぶねがわかった範囲でここにまとめます。間違い等があれば遠慮なくご指摘を。

全体は2部構成。土屋先生の基調講演のあと、パネルディスカッションという流れ。会場は満員御礼。立ち見も多数。
 
[土屋先生 基調講演]
●相変わらずの土屋節が炸裂。ここでは臨場感を増すため、不穏当な発言もなるべく採録するという方針でww

REFORMの研究成果報告を兼ねて、10年後(2020年)の大学と図書館を語る。まあ、研究成果報告は論文書いて業績にすればよいので10年後を話す。

今日の内容を10年後に検証する人はいないので、率直にやりたい。パネルディスカッションは発言の多いタイプの図書館員、院生、出版から集めた。どんな方向に行ってもかまわない。

科研費でやったREFORM、REFORM2の研究成果。
6年やり、もう大学図書館に関する包括的な研究はすべて終わったと思っている。思っているだけです。

今日の結論は簡単。
大学図書館から研究支援や教育支援という機能はなくなり教育そのものの機能のみが残る。だからそれに向けて今から準備をしましょう。

・研究支援機能=10年後にはなくなっている。
なぜならインターネットがあり、研究に必要な資料はネットで手に入るから。紙の資料についても10年後には資料保存の効率化とかも終わっているだろう。機関リポジトリは残っているかもしれないが、図書館が残っているかどうかはわからない。

・教育支援機能もなくなる。FDとかいっているが教員は教育に図書館を使うのが下手だから。

・残るのは教育機能のみ。図書館は教育そのものをやらないといけない。今から準備すれば10年後には間に合うだろう。

大学の機能を支援するのが大学図書館というところから出発した。
大学図書館を制約する条件は何か
・研究支援機能を制約する条件
 学術情報流通の環境:EJ、リポジトリなど
 研究活動とその評価に関すること:論文業績中心主義、論文を書いて発表して業績にしないといけない。その論文の流通と保存

・教育支援機能の制約
 現在の日本の大学教育は大抵日本語で行われている。→日本語出版がどうなるか。
 大学教育のやり方:教室での講義というやり方に関する懐疑が出てきている。e-ラーニング、遠隔教育がどうなっていくか。もしかしたら携帯で勉強したいという学生が出てくるかも。そんなに向学心のある学生がいるとは思わないが。

・大学自体がおかれた社会的条件
 インターネット、知識基盤社会が進展する中では、キャンパスや教室に囲い込むということ自体が成り立たないかもしれない。


<土屋先生の個人的回顧>
2004-2006 REFORM、2007-2009 REFORM2 を経て
当時と比べると図書館から人が減った。本も減ったような気がする。特に雑誌。

 ちなみにREFORMという名にしろといったのは尾城さん@当時千葉大。確かまだしらふの時間帯だったと思う。名前はREFORMしかないというので、後から何の略称にするか考えた。

1998年に千葉大附図館長、たまたまその秋から国公私の委員長館、冬にEJのシンポジウムということで、著作権やEJの問題にかかわることになった。

図書館情報学という学問があることは知っていたが、図書館にかかわることになって改めてみて、学問としては使えないと思った。思っただけ。
2000年から国大図協のEJコンソーシアム、2002年にはIRの動きが始まる。
→やっぱり図書館情報学は使えない(と思った)なら自分でやるしかない。

と思っていたら2003年に竹内先生がきたので自分ではやらなくてもよくなった。
→竹内先生は論文をでっちあげるのがうまい。大変感謝している。

哲学をやってきて、それに飽きてきたということもあったが、学問はやはり実際の問題から理論化をしていくものだろう。そこで次の3点を目指した。
・大学図書館学を構築する。
・(大学図書館研究はもう終わったとか言っておいてなんだが)人材の養成
・現実への応用
このうち3点目の現実への応用は失敗した。考えているうちに現実がどんどん先行していった。

<CAT/ILL研究>
数字があるほうが研究っぽい。
また複写権センターとの交渉でILLについて、説明しなければいけなかった。ILLは100万件のデータがあり、3億円規模のお金が動いていた。EJには300億使っているので、それと比べれば小さいんだけど。

100万件のデータを処理するのは今ではなんでもないが、当時は大変だったので、処理する環境を用意することから始めた。これも10年の進歩

このCAT/ILL研究でわかったこと。
ILLはすばらしい。
細かいやり取りの80%以上が捕捉できる。のこりは(いかがわしい)医療関係?
効率的で、経済的で、迅速
しかし2000年以降停滞していた(当時はILLも右肩上がりが望ましいと思っていた)
グラフを見ると洋雑誌が2000年以降減り始め、和雑誌が増加傾向
前者はEJ効果でわかりやすい。でそれが相殺して停滞にみえた。
千葉大亥鼻分館での看護系の発見。

<大学図書館間協力と資源共有>
戦後復興期からの大学図書館政策
ほとんど犯罪的なJICSTの文献提供(ほとんど犯罪的、ということは犯罪でないということ)NDLの郵送でのコピー送付、外雑センター館、80年の答申をへてCAT/ILL

結果として90年代に理想的な形での資源共有が行われるようになった。(なのであとは惰性)
ところが電子化の進展、EJの到来によって迷走がはじまる。というのは電子化されてどこかにあれば原理的にはすべて共有しているようなものだから。

つまり情報資源共有のパラダイムが変化、というよりも崩壊した。

CAT/ILLは本当に「協力」だったか。
CATの共同構築の幻想:実際には一部図書館がもっぱら書誌を作成。ほとんどが流用入力。独自規格の限界。今苦しんでる
ILL:知り合いコミュニティの集合体
 やりとりを分析するとそうなる。撹乱要因は値段ぐらい。たまに知らない大学がでてくると極端に安かったり。
→ILLのないCATに存在意義はあるか。

2000年代後半になってくると電子的な学術情報流通の形がほぼ見えてきた。
←200年代前半に模索したことで見えてきた。
EJのプライシング
DLしたら利用したことになる、というイデオロギー(クリックだけなら赤ちゃんでもできる。それで何が利用だ、と)
電子資源を管理するという無謀な試み=ERMS
コンソーシアム

一方でコストのかからない営みはない
強欲資本主義的出版社、エルゼビアとかネイチャーとか、だけが悪いわけではない。
高くても買わなければ研究者が怒るわけだから。

電子の資源はどこかにあるのであれば、直接買えばよい。仲介者は不要。
=図書館は不要

<REFORMの成果を再まとめ>
ILLの分析:
 洋雑誌はEJによってアクセスが改善
 和雑誌は電子化による改善の途上(和雑誌のILLも洋に遅れて減少傾向)
 現物貸借はそもそも全体の10%しかないので忘れてもいい(かな?)
CATの共有は対等な協力ではなかった。(異論はありますが)
外国図書の購入は減っている。これはよくわからない。
国内には国際雑誌の刊行主体はない
外国ではe-book化は進展
日本にはCiNii、メディカルオンライン、J-STAGE、NDLのデジタル化ぐらいしかない。
このうち画像のものはいまどきダメ。NDLも今の話だと画像なので×
→国内出版者の電子化提供については絶望的にならざるをえない。

<REFORMの予想(もちろん全員一致ではないです)>
電子化は進む。
NDLへの電子納本も長尾先生がやるといってたからやるんでしょう。
→したがって資料提供機能は不要。80年代の答申に基づく構想は終焉を迎えた。

インターネットはもっと普遍化し、教育も電子化する。いいとか悪いとかではなくそうなる。しょうがない。するとどこでも学習、消費、生産できるようになる。イギリスでm-library(mはモバイル)という概念を仕入れたがこれはまだ広まってない。

高等教育というものの理念。グローバルな知識基盤社会における市民の育成、というものになる。

それから10年後を考えるとネットワーク世代の学生への教育のあり方を考えないといけない。Gen-Zと呼ばれる世代の生態。

対面教育の限界

日本の大学はこの期待に応えうるか。一応両論を書いておく。
 是:FDと設備があれば大丈夫
 否:しょせん日本の大学だからダメ。
個人的にはその間かなあ。

インターネット化が進む社会は原理的には大学も不要。知識基盤社会においては、知識は買える、切り売りできる。逆に常にアップデート、バージョンアップを出来るスキルを身につけないといけない。知識として教えるのではなく身につけるということが必要。

珍しく図書館に迎合した物言いをすると、これに応えうるのは大学図書館だけといっておく

[司会 竹内比呂也先生]
まさか名前が出てくると思わなかった。が、感謝しているなどというのは
土屋先生にしては最大限の賛辞であろうからありがたく受けておく。
この後、これに対するパネラーのコメント。その後休憩を入れて
パネルディスカッション。

[市古さん@慶応大学]
土屋先生がきっちりまとめてきたので、ちょっとびっくりした。10年後の図書館ということで少し考えてきたことを話す。

 <スライド:雑誌廃棄の写真>
この夏慶応理工学メディアセンターで雑誌を廃棄した6500冊くらい。以前にも信濃町でケミアブとかを捨ててきた。個人的には複雑な気分だが、捨てて何をしたかというと学習スペースをつくった。
今では真っ先に学生が来る場所であり滞在時間も長くなっている

図書館を取り巻く現状が変化している。ハーバードでも予算のカットがあった。図書館の閉鎖や大学、教育自体の変化がある。そんな中で図書館のSWOT分析をしてSとOだけ取り上げてみると、Sは組織化して蓄積・提供してきた資料、図書館員、場所。Oは人が育つ場所の提供、かと。

そしてもうひとつの機会として2008年の中教審がだした「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」がある。

大学の質が問われる時代。何によって質は保証されるのか
FDは誰のためのものか
到達度評価:高等教育で到達度はないだろう。
これだけ人が集まる割に図書館員にはパワーがないと感じる
自分たちで領域を狭めなくてもよい。

「学士過程教育の構築に向けて」にある「出口で保障されるべき能力」
に「汎用的技能」がある。この部分については図書館のストックを活用して貢献していけるのではないか。

[河村さん@東京大学大学院]
●機材のトラブルもありましたがそれを差し引いても、とにかくたくさんの留保をつけて話されるので、スピードの速さもあり、あまりちゃんと理解できていません。

論文業績中心主義の結果、図書館学の一流誌でもお作法を守れば査読に通る状態。これでは研究者のレベルが下がる。

土屋先生の話を聞いて、図書館学の研究者かつ20代として思ったこと。疑問が3つ。
・機関リポジトリは、本当に大丈夫なのか
・教育機能の強化で本当にいいのか
・紙媒体は本当になくなるのか。

リポジトリについて言えば、利用者としてはGoogleぎりぎりCiNiiで十分

教育という観点では学力低下などが言われる中、中等教育と高等教育をつなぐという観点で図書館の存在がアピールできるのでは。ただ、教育だけでは、従来の図書館の「場としての神話」を保てないのではないか。また図書館は大学内では従の位置にあるので、教員・教育に食い込むのはつらいのではないか。

研究支援機能としては部局図書館の重要性を再発見すべき。資料がなくなったときに場所を維持するのは難しいから、人に注目しないといけない。人が、秘書や助手の仕事を引き受けていくことで競争力をもてるのでは。

[前田さん@大阪大学]
最初10年後の大学と図書館というテーマをもらったとき、テーマが壮大すぎていやだった。が、断ることができず出てくることになった。

正直言って、10年後の大学と図書館、
そんなことは知らん。考えたこともないし考える気もせんわ。目の前にすることが山ほどある。朝来たときより夜帰るときに仕事が増えてる。結果、休みの日に消化するしかない。言いたいのは、結構現場は忙殺されているということ。いろいろなことを進めていけなくなっている。

で終わっても、あれなので。
今、どういう姿勢でやっているか、熱意・危機感のある大学や図書館と、日々の仕事をこなせばよいという姿勢でやっているところとでだいぶ違ってくるだろう。

熱意と危機感があれば、新しいサービスを展開する、個々の図書館員が専門性を高めサブジェクトライブラリアン的な要素を増す、単独では限界があることを知り、図書館間の連携をとっていくとかできる。こういうことが必要になってきて結果として大学の中での図書館の地位を高めていくことになるのではないか。
危機意識がないと一般の行政事務部門に吸収されていくだろう。契約は大学の契約部門、サービスは外注。新しいことは予算の範囲内でだけやる。みたいな。

知識やツールは遠隔教育でも出来るかもしれないが、問題解決能力はそういうもんじゃない。対面での教育が必要ではないか。逆に言うとそういう機能を果たせない図書館はなくなっていくのでは。

では、どうやって熱意と危機感のある図書館にしていくか。
対話しかない。粘り強く話して研究者に近づいていくしかない。

[茂出木さん@お茶の水女子大]
●竹内先生が「大学図書館界の女王」と紹介していましたw

タイトルは「今日の本音」

8/10に依頼が来た。9月には資料を送るから熟読しておけと。
土屋組も大人になったなと思った。
が、
資料が来たのが2日前。ぴらっとしたのだけ・・・

1ヶ月先のことが守れないのに10年後を語る男についていけるか!

●という枕で会場をつかむ。さすが。

10年前に何をやっていたか。
東大のリテラシー担当
当時はEJ、携帯OPAC、WoSが入ると幸せになると思っていた。図書館員のリテラシー教育ってなんだろう。学生がいろいろできるようになったら自分の仕事がなくなる?とか思っていた。でも楽しく仕事をしていた。

今を見てみると、若手に面白さを伝えてあげられるか。不安。

学習支援を重視した場所としての図書館というのがよく言われる。でも想像してほしい。きれいに環境が整った学習空間。そこに図書館員は必要か。むしろ邪魔なんじゃない。これがこの議論のこわいところ

『大学と学生』2009年11月号
 学生支援、学習環境整備という特集
そこに出てきた話、基礎学力低下、心理、就職、経済的問題、事件事故
このいろいろな問題にワンストップで応えられる窓口が必要。としょかんのとの字もない。それどころではない。

10年後に図書館あるいは図書館らしきところで誰が働くか。
数年前土屋先生は図書館員はいらんと言っていた。

図書館にしがみつきたい人はしがみついてもいいが、大事なのは職業人としてどういう仕事で幸せを感じられるか。どこで職業的な幸せを感じるか。

『ごきげんなすてご』
いまだ捨てられない本。帯までとってある。この帯にある言葉。
「あたしをひろうとおとくです」ということがキーワードになるのではないか。

●さて今の自分はひろったらおとくだろうか・・・

[杉田さん@北海道大学]
「電子化の趨勢はいくところまでいく」
やはり2日前にきた資料をみて準備した。電子化の趨勢はいくところまでいく、とあったのでそういうタイトルにしたが、今日のスライドにはなかった。

土屋先生の話にもあったILLの件数グラフ。洋雑誌が減少傾向にあるというもの
それともうひとつ、ScienceDirectの文献ダウンロード数のグラフ。2001年から急増している。これで洋雑誌はEJになったからILLが減ったという言い方をすることがあるが、SDは億単位の件数。
→単位がぜんぜん違う。なので単なる置き換えではない。

昔と比べて、非常に多く字に触れている。昔は本、新聞、雑誌、手紙などが字に触れる機会。今は、メール、携帯、ネット、ブログ、Twitter。字に触れる機会がいやというほど多くなった。

手に入るものが多くなりすぎて、ILLしてる時間がないのではないか。

「仮に研究する人生」という掲示板にあったもの
 理系:フィジカルレビューも買えなくなった
 文型大御所:EJが出てくるからおかしくなった
 文系の女子学生:ブログで論文書けばいい
これが笑い話ではないかもしれない。

『サマーウォーズ』
そこではOZという仮想世界にアクセスして生活できる。政府関係のものもOZを使っている。最近のソーシャルネットワーキングをみるとそう遠い話ではないのでは。

『マトリックス』
サマーウォーズではまだ端末から仮想世界にアクセスしていたが、マトリックスは仮想世界の中で現実同様に暮らしている。仮想現実のなかで対面コミュニケーションができるようになったときに
今の学会の大会とかはどうなっていくのか。

海外のIRの会議に行っても論文の話はない。e-research、e-scienceのインフラとしての話になっている。研究生活、学生生活にどう関わっていくかが課題ではないか。

[植村さん@東京電機大学出版局]
長尾真『???』(書名失念)
「20年30年先には出版されるものの70%が電子形態のみのものとなり、冊子体も電子で手に入るだろう。」

→出版というものをどう捉えるか。携帯小説までいれるなら8割、9割いく。しかしそうなのか。電子化というが、本からテキストを取り出して画面で読むということが果たして本を読むということなのか。

リブリエのみでゼミ、テストをやってみた。翌年、同じものの紙の本でも同じ授業をやった。リブリエはぜんぜんダメだった。
 ←それはリブリエがだめなんだよ(土屋先生)

たとえば、リブリエで「何ページ」といっても、文字の大きさを変えていたのであわなかった。

本は単なるコンテンツのパッケージではなく、システムを内包している。このことを認識していない議論が多い。本のページは一意に箇所を特定できるが、デジタルはシーケンシャルな読みを想定。ージ概念がない。今の引用のやり方は本だから特定できる。

京都大学で医局にまでいった人がオウム真理教で人を殺したりする。という話をしたら、彼らはcleverだがwiseでない」と言われた。で、今の学生は「知識はあるけど知恵はないんですね」と別の人に言った「彼らにあるのは知識じゃなく学力だ」と。別の人に言ったら「学力があっていいなあ」(笑)

出版補助金は減ってきている。しかし研究成果の評価は学会の中だけではない。社会的な評価もある。→書籍の刊行を積極的に位置づけていくことが必要
  ←「だからオンラインにしてアクセス数で評価すればいいじゃない」(土屋先生)
ネットを通して得られる情報が、本と等価なのかを考えないといけない。
  ←「だって等価以上でしょ」(土屋先生)

本:定着、不変、多様性
  間違いに責任をとる。これでしか信頼はえられない。これはanonymousでは作りえない。出版社へのクレームはすごい多い。だから本には信頼性の保障がある。
電子:変更可能、オンデマンド、カスタマイズ、アノニマス、best effort、そこそこの品質

出版コンテンツと信頼性
 図書館はベストエフォートまで扱うのか。
 機関リポジトリは情報発信か。質を保証してはじめて学術出版といえるのではないか。
 10年後でも出版がつくる信頼性システムを使って電子化するという枠組みは通用するのではないか。

[パネルディスカッション]
土屋先生が司会

土:大枠としてはあんまり意見は違わないんじゃないかというのが印象
  まず部局図書館論というのは無茶であることを確認したい。
  あれは普通の大学では無理。
  実現するためには合併して大学を大きくすればよい。がそれは今の大学図書館が部局になるだけであまり意味ない。

  人の問題についていうと教員のほうから図書館員に対してはいいずらいが
  この際いっちゃおう。

  ひとつは10年後の図書館(みたいなとこ)の人の資質はどうであるべきか
  今までの図書館機能の延長上に教育機能に収斂していくというときに。

  もうひとつはIRについて
  研究支援的な部分ではIRが大きな位置を占めるのではないか。
  10年後にIRはどうなっているか。それを運営する人として今の図書館員はどうなのか。

  人の問題についていわゆる図書館学の知識はまったく不要だと断言してみる。
  じゃあ何が必要か。知識があればなんでもいい。
  教員になれなかった学位取得者でよい。それがちょうどいい。
  実はこれが実態でもある。それぐらい専門性はほしい。

市:一方的な知識伝達の教育が変わるということが前提。変われば図書館員の場所はある。

河:土屋先生とほぼ同じ意見。専門知識が重要で今の図書館学の知識はいらない。助手みたいな印象を持っている。

前:研究者との距離を縮めるにつきる。助手みたいないないと回らん人にならないと。

茂:腰が軽い、動ける人
  ひとあたりのよい人
  はったりがきく人
  それと癒し系がいけるんじゃないか。
  専門馬鹿でない、頭のいい図書館員

土:それは10年後の教員にも必要。
  図書館員よりも教員に必要。今教員にあるのははったりだけ

杉:専門分野をもって、その情報流通をわかって図書館を切り盛りしていける先生
採用のほうも院生バイトから。図書館員が専門をもつのではなく、もともと専門のある人で、情報流通とかがわかる人がよい。

植:経営センス。それが欠落しているために周りに流されている。学生、研究者のマーケットに対して主張できればよかったのに。

土:パネラーが国立大学とでかい私立大なので、どこまで普遍的かという問題はあるが、国立大学が今の私立のように、図書館員がどっか別の部署に行くようになったらどうなるか。今の中堅どころの人とか。

前:即答できない

茂:個人的にはどうとも思わない。図書館にこだわらない。
  ただ図書館員としてがんばっている部下を見ていると、それをむりやり引っぺがしてというのは、大学としていいのかと思うが

杉:適材適所であれば別によい。

植:指定管理者とか委託の話がREFORMにはないなあと思っていた。

土:紙はなくなる。なので手作業はなくなるという前提。だから派遣も何もない。

植:大学経費でやっているのでアメリカは出版と図書館の融合という方向があるが、
日本は中途半端なので。

土:やっぱり人の話はしにくい。
  もうひとつのIRがどうなるかという話。機関リポジトリの出版機能。
  図書館がそれをやるというのは出版機能とどういう話になるのか

杉:IRにはその大学から出るもの、紀要、学位論文というそれがオリジナルというコンテンツが一方にある。他方他で出されたものの複製がある。これはだいぶ違う。
  前者はまがりなりにも出版だった。それをIRでやるというのは出版であり、プロに学ぶところがたくさんある。

土:リポジトリに最近熱心だった茂出木さん。

茂:リポジトリに熱心だったことはないです。仕事としてはやる。
なんで裏エルゼビアのようなことをやるのかという疑問はある。
あと、図書館員はなんでいつも過去にさかのぼってひいこらやるのか。

土:10年後はどうなる?

茂:ひいこら仕事がなくなったときにどうなるのか。IRがひいこら仕事でなければ希望の星かもしれない。

前:ひいこらは探せばいくらでもある。阪大はこないだようやく大学外のものの収集が認められた。まだまだ小規模のところはリポジトリを立ててないので、そういうのが10年続くのでは。
  IRの仕事をして教員との関係に触れるということが大きい

河:大学レベルのは必要なくて、NIIとか筆者のHPとGoogleでよいのでは。

杉:読者的にはどっかにあればよいというのは確か。でもIRの担当は読者はみてない。先生が喜べばよい。HPにあればよくて、それをできない人の受け皿になればよい。

河:それはニッチを相手にしているように思えるが、業績中心になるとニッチはなくなるのでは。

土:業績中心主義が進むと、評価するのが必要になってくる。すると評価する側は個人のHPとかにあると困る。大学側としてはリポジトリに全部並べておくというのは管理上幸せ。論文中心主義でいくと、リポジトリに行き着く。

茂:そういう世話をするんですか。

土:そうみるか。場を与えていると見るか。

茂:ある種のワークシェア?

土:ワークシェアではなく得意不得意の分業

杉:業績評価だけなら本文いらないのでは

土:本文がないと確認できない。

植:査読によって評価を担保するのか。紀要とかもあると思うが。

土:両方混在しているからプラットフォームとしての評価が低いということにならない
両方がわかるということには意味がある。
評価に直結させれば問題ない。乗っけなかった人は業績ゼロ

杉:コンテンツを集めるのは確かに大変

土:それをひいこらととるか、創造的な仕事ととるか

植:それは図書館の仕事なの?

杉:確かにひいこら仕事ではある。ただ本の貸し借りという接触はこれまであったが、それに対して先生との接触が増すことで、他の図書館活動に役立っている部分があると思う。

植:それは出版の編集の仕事。それなら大学出版がIRをやったほうがよいものができる。手もみして下手にでる資質を持ってる。

土:そういう資質をもった図書館員はどれぐらいいるか

前:やればできる。やっていないだけで慣れれば出てくる。

茂:東大では先生の相手はつまらなかった。お茶大ではそうでもない。つまり客による。
杉:先生の個人差は確かにある。しかしやるとそれを面白がる図書館員は増えてきている。

市:慶応では先生との間はフレンドリー。いい関係が築けている。

河:任期つきのポストとかもあるので大学への忠誠心はないのではないか。
だから大学より、個人とかNIIとかの方がよいとやはり思う。

(フロアから)逸村先生:
NIIの次期のCSIでリサーチIDのようなものを院生からふり、個人に割り当ててトラップするのを考えている。大学移っても平気なことを考えている。

土:それはよさそうだけど、いやな感じもある。

逸:研究者としてのアイデンティティ、よってたつところの問題。

(フロア)南さん@九大
アメリカのライブラリアンみたいな専門性の方向に行ってほしいがそれは図書館員としてどうなのか。

市:論文を書くという経験は必要。

前:研究の時間が必要。

茂:おちこぼれ研究者が図書館員というのは違和感がある。
修士号をとったからといって未来があるように見えない。
別の形のプロフェッショナル精神があるのでは。

杉:いま働いている人にもうひとつ専門を持てというのは無理。
採用の時点から。
  あと、研究者崩れが来ても活躍できる場は今の図書館にはないのでは。
活躍できる場をつくることも必要。

植:マストなのはIT能力ではないか。

杉:プログラマの能力は要らないが、どういう風に動いているかがわかることは必要。

前:仕組みを教員に説明できる能力は必須。

市:ITは必要。慶応にはシステムライブラリアンはいるが、対話ができるかどうかは別

植:公共図と大学図では人種が別。

前:大学の方がシビアな環境にいるということ。

土:公共はまだ紙だけでいけるから。

<締め>
土:大学図書館研究は、客観的な研究はすべてやってしまった。
やらないといけないのは、人の話であり、
どうやって次の大学図書館を作っていくかという話だろう。

図書館総合展の予定

どろぶねの図書館総合展の出没予定は以下の通りです。
人見知りですので、お気軽に声をおかけください。

11/10 13:00~17:00 フォーラム「10年後の図書館と大学」

※職場を12:00ジャストに出ても13:00には間に合わない可能性が高いので、 5~10分遅れての参加となる見込みです。

 17:00以降 会場をぶらぶら

11/11 13:00~14:30 フォーラム「CLOCKSS:図書館コミュニティが運営する世界規模の電子ジャーナルアーカイブ」
※同上、少し遅れての参加となる見込み。

 14:30~15:30 DRFtech-Karuizawa報告会を見に行くかも。
 15:30~17:00 フォーラム「Ex Librisが実現するサービスの統合化と利用者環境の向上」
 17:00以降 会場をぶらぶら

11/12 10:30~12:00 フォーラム「図書館資料を100パーセント有効活用!「OPACを超える瞬間~図書館の現場から」

 12:00~13:00 どこかでお昼
 13:00~ 職場に戻ります。茂出木さんのライトニングトークを見られないのが残念。

計4つのフォーラムに参加します。
電源、ネットワーク、体調等、可能なら実況するつもりです。
ハッシュタグを主催者ないしそれに近いところで決めてほしいなあ。
http://twitter.com/dorobunemk2

StrengthsFinder

遅ればせながらStrengthsFinderというものをやってみた

StrengthsFinder

なんかいつの間にか2.0とかもあるらしいが今回やったのは1.0という方。

結果は以下のとおり。



次は、StrengthsFinderの結果に基づいて導き出された、私の上位5つの資質です。

ご存知かもしれませんが、StrengthsFinderでは、The Gallup Organizationが定める34の資質の存在を測定します。これらは、優れた業績を予測するための確実で安定した指標であるとされています。個人の持つ優れた資質は、日々の行動に自然と表れるものです。その資質が強いほど、行動に表れる傾向も強くなります。

その人が本来持つ強力な資質に注目することで、それらの資質を強みの基礎として活用し、ほぼ完璧な形で一貫した能力を発揮し、仕事、学術、プライベートの面で成果を上げることができます。

これらの資質がどの程度わたしに当てはまっていると思いますか?

収集心

あなたは知りたがり屋です。あなたは物を収集します。あなたが収集するのは情報――言葉、事実、書籍、引用文――かもしれません。あるいは形のあるもの、例えば切手、野球カード、ぬいぐるみ、包装紙などかもしれません。集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を引かれるから集めるのです。そしてあなたのような考え方の人は、いろいろなものに好奇心を覚えるのです。世界は限りなく変化に富んでいて複雑なので、とても刺激的です。もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしもあなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。もし旅行が好きだとしたら、それは初めて訪れる場所それぞれが、独特な文明の産物や事柄を見せてくれるからです。これらは手に入れた後、保管しておくことができます。なぜそれらは保管する価値があるのでしょうか? 保管する時点では、何時または何故あなたがそれらを必要とするかを正確に言うのは難しい場合が多いでしょう。でも、それがいつか役に立つようになるかどうか誰が知っているでしょう。あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、モノを捨てることに不安を感じます。ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。それが面白いのです。それがあなたの心を常に生き生きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つものが出てくることでしょう。

原点思考

あなたは過去を振り返ります。そこに答えがあるから過去を振り返ります。現在を理解するために、過去を振り返ります。あなたの見方からすると、現在は不安定で、訳の分からない喧騒が入り乱れています。現在が安定を取り戻すには、過ぎ去った時――すなわち計画が立てられたとき――に心を向けてみる以外方法はありません。過去は今より分かりやすく、計画の基礎が築かれたときです。振り返ると、計画の原型が現れるのが見えてきます。そしてあなたは、初めの意図が何であったのかを知ります。この原型、あるいは意図はあまりにも飾り立てられてしまって、本来の姿がほとんど認識できなくなっていますが、この原点思考という資質によって、これらが再び現れます。このようにして原型や意図を理解することは、あなたに自信を与えます。あなたは元々の考え方を知っているので、もはや方向を見失うことなく、より適切な判断を下すことができます。仲間や同僚がどのようにして今のようになったかを知っているので、あなたはより一層彼らの良きパートナーとなります。過去に蒔かれた種を理解しているために、あなたは自然に将来をよく見通すことができるようになります。初対面の人や新しい状況に直面すると、自分をそれに適応させるのにある程度の時間を必要とするでしょうが、その時間を取ることを心掛けなければなりません。あなたは原型が表面に浮かび上がるような質問が必ずできなければなりません。なぜならば状況がどうであれ、過去の原型を見たことがなければ、あなたの決断に自信が持てないことになるからです。

戦略性

戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。

最上志向

優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。平均以上の何かを最高のものに高めるのも、同じように多大な努力を必要としますが、はるかに胸躍ります。自分自身のものか他の人のものかに関わらず、強みはあなたを魅了します。真珠を追い求めるダイバーのように、あなたは強みを示す明らかな徴候を探し求めます。生まれついての優秀さ、飲み込みの速さ、一気に上達した技能――これらがわずかでも見えることは、強みがあるかもしれないことを示す手がかりになります。そして一旦強みを発見すると、あなたはそれを伸ばし、磨きをかけ、優秀さへ高めずにはいられません。あなたは真珠を光り輝くまで磨くのです。このように、この自然に長所を見分ける力は、他の人から人を区別していると見られるかもしれません。あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。あなたは自分の弱みを嘆きながら人生を送りたくありません。それよりも、持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考えます。その方が楽しく、実りも多いのです。そして意外なことに、その方がもっと大変なのです。

内省

あなたは考えることが好きです。あなたは頭脳活動を好みます。あなたは脳を刺激し、縦横無尽に頭を働かせることが好きです。あなたが頭を働かせている方向は、例えば問題を解こうとしているのかもしれないし、アイデアを考え出そうとしているのかもしれないし、あるいは他の人の感情を理解しようとしているのかもしれません。何に集中しているかは、あなたの他の強みによるでしょう。一方では、頭を働かせている方向は一点に定まっていない可能性もあります。内省という資質は、あなたが何を考えているかというところまで影響するわけではありません。単に、あなたは考えることが好きだということを意味しているだけです。あなたは独りの時間を楽しむ類の人です。なぜなら、独りでいる時間は、黙想し内省するための時間だからです。あなたは内省的です。ある意味で、あなたは自分自身の最良の伴侶です。あなたは自分自身にいろいろな質問を投げ掛け、自分でそれぞれの回答がどうであるかを検討します。この内省という資質により、あなたは実際に行っていることと頭の中で考えて検討したことと比べた時、若干不満を覚えるかもしれません。あるいはこの内省という資質は、その日の出来事や、予定している人との会話などといったような、より現実的な事柄に向かうかもしれません。それがどの方向にあなたを導くにしても、この頭の中でのやりとりはあなたの人生で変わらぬものの一つです。

自分の上位5つの資質を発見するには、http://www.strengthsfinder.comをご覧ください。



外れているとはいいがたいな。
問題はこれがどうやって生きてくるのかという事だが・・・

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かすさあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
(2001/12/01)
マーカス バッキンガムドナルド・O. クリフトン

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ARGフォーラム 感想など


第1回ARGフォーラム
「この先にある本のかたち-我々が描く本の未来のビジョンとスキーム」
http://sites.google.com/site/argforumsite/home

行ってきましたのでレポートをば。

他にもレポートは既に多く上がっています。
みんな仕事早いねえ。

しかし今回のレポートは我ながら長い。9000字も書いてるw

眠気を誘うと思われますので、
寝る前に読むことをお勧めします。

Twitterでもいろいろ面白いコメントが流れていたようですが、リアルタイムではイーモバイルがうまくつながらなかったため確認できておりません。一般の率直な感想はそっちを見た方がよさそう。

以下●のパラグラフがどろぶね個人のコメントです。なにやらえらく哲学的な部分がございます。

☆基調報告:長尾真(NDL館長)

本が解体されて、目次・パラグラフレベルで扱うようになるという話と、デジタル化時代の出版者と図書館のモデル図について。
言ってることはいつもと同じなので、モデル等の仔細は省略。

インターネットの登場により、情報流通は一部の著者から大多数の読者という一方通行から誰でも発信できる双方向へと変化

電子図書館の時代
・デジタル化の進展
・デジタルしかない出版物
・インターネット上の情報の収集と利用→信頼性の高い情報の収集が求められる

デジタル化の利点
「デジタル化すれば、書誌情報の大部分は自動付与できる。キーワード自動抽出、自動分類付与、関連図書へのリンク付けもすべて自動でできるようになる」

●んなばかな、と素人としては(いつものことだが)思う。テキストのうち、何がタイトルで何が目次で何が著者で、っていう意味論の世界をどうやって自動で処理するんだろう?いつもそこがわからない。自然言語処理の意味論、誰でもいいから教えてほしい。

●あ、目次には「目次」って書いてある、とか、1.、2.・・・ってあったら章立て、とかそういうのはなしね。それはそういう「形式」を処理しているだけだから。そういう形式の中に落とし込んだのが目録やメタデータだと思うので、メタデータが自動付与できるというのであれば、コンテンツのテキストから(そしてそれだけから)、例えば目次がどのように提示されていても(「目次」って書いてあってもなくても、あるいは「本書の構成」とか書いてあってもなくても、つまり目次がテキストの中でどんな「形式」で示されていても)そこが目次であると(そしてそれ以外の箇所は目次ではないと)判断できなければいけないと思うのだが、そんなことができるまでに自然言語処理というのが進んでいるなら是非教えてほしい。

検索の単位が異なる
 図書の単位だったものが章、節、パラグラフといった単位になる。目次に従って階層構造を検索することで、読みたいところだけを読むことができる。

●検索の単位が図書のレベルからより細かいものになってきている(というかなるべきである)というのはそうだと思うが、FRBRでいう「著作」のレベルを把握したうえでないと危険ではないかと個人的には思う。
●というのはコンテンツ、テキストというのは単なるデータではなく、テキストにはコンテキストがあるということ。コンテキストを無視して引用や編集を行うことは、マスコミではよく行われており、インタビュー記事などで、発言者の意図と違う使われ方をして問題となることがよくあると聞く。政治家や企業トップの発言の一部だけを使って批判するようなやり方もまたしかり。
●そのような(引用者が引用したいところ「だけ」を読んで使うという)使われ方が増えると、例えば反語的な表現は使えなくなるだろうし、自分と異なる意見をそれこそ引用できなくなってしまう。そこだけ読まれて使われてしまったら困ることになるから。自分の主張以外のものを論述の中に含むことが、リスクが大きすぎてできなくなってしまう。これは説得力のある論証をする上での大きな制約となるのではないか。
●したがって「読みたいところだけを読むことができるようなる」というのは、便利ではあるし必要かも知れないが「読みたいところだけを読む」という読みの姿勢には賛同できない。
●仕組みの問題というより、読む側の問題か。
●つまり、これはテキストの全文検索や目次を階層化することができなくてよいという意味ではないし、テキストの一部を取り出すことができなくてよいという意味ではない。文脈を無視できるデータだったり、事実報告であれば「読みたいところだけ」で十分な場合もあるし、文脈がわかっている資料について、ピンポイントで引用したい箇所を探すことができるというのは有用だと思うので誤解なく。

過去の成果の上に新しい成果が生まれる=過去の必要なところを切り取って編集し、新しい観点から再構成すること

●「読みたいところだけを読む」という姿勢は「新しい観点からの再構成」という行為を無意味にする。「読みたいところだけを読む」ということは構成を無視して部分だけを読むことが可能ということであり「再構成」された「構成」が読まれることにはならないからだ。まあ、前段と言いたいことは同じ。
●「読みたいところだけを」読めるようになることは必要かもしれないが「読みたいところだけ」しか読まないという姿勢は、恣意的な読みや引用を助長するようにも感じられ、必ずしもそれが創造性につながるとは思えない。新しいものを創造したいのではなく、既に結論があってそれに向けて材料を引っ張ってきたいだけに聞こえる。
●もちろん必ず全部通して読まなければいけないということではないので念のため。最初に書いたようにテキストにはコンテキストがあり、それを無視しては意味は取り出せないのだから、読みたいところだけを読むというのは危険であろうということ。
●テキストや意味というものに関する言語観が多分違うのだな。

「情報検索」から「事実・知識検索」へ
情報検索=解答が含まれているドキュメントを取り出す
知識検索=解答そのものをドキュメントから取り出す。

●これも違うと思う。解答そのものをドキュメントから取り出すのは人の世界の出来事。ドキュメントから取り出したものはそれだけでは解答ではなく、それにどのような意味を人が与えるかが解答を構成する。
●可能なのは、解答が含まれているドキュメントを、よりピンポイントで取り出せるということだ。

電子図書館が自由に利用できるようになると出版事業が成り立たなくなる。なので、ビジネスモデルの提案をしている。

●このビジネスモデルは図書館がいなくても成り立つ。つまりコンテンツと作者(著者)と販売者(出版者)と利用者、それに権利と課金処理のスキームがあれば、ビジネスは成立する。ということは、図書館がコンテンツの保存ということをキーにモデルに組み込まれるためには、図書館側が相当積極的にかかわらなければ(あるいは法的に組み込まれなければ)いけないのではないか。「提案」や「協力」ではすまないだろうというのは、以前に書いた通り。しかし図書館が出版のビジネスモデルに積極的にかかわっていくということは、図書館が無料で公共に奉仕するのが基本であることから、それはそれで難しいように思われる。図書館側もNDLだけでなく(サービスのインターフェースとしての)公共図ということも考えると全然一枚岩ではないし、統一した意思決定ができるわけでもないし。
●とはいえ、図書館においてデジタル化やデジタルコンテンツの提供サービスを充実させていくことはデジタル化が進む環境下では避けて通れないことから、図書館が取り組まないわけにはいかないと思う。

●これに関しては考えることがいろいろある。とりあえず箇条書きメモ
 ・国としてのデジタルコンテンツ戦略(の問題として考えるべきではないか)。
 ・デジタルの世界における図書館の役割(を具体的に示して理解を得ていかないと、無料貸本屋さん批判と同じことがデジタルでも起こってしまう、あるいは、デジタルの世界で無料貸本屋を再現させないために図書館におけるデジタルコンテンツの利用が非常に制限された不便なものになる、のではないか。)
 ・図書館と出版ビジネスが両立するための前提条件(って何だろう。それは紙だから成り立っていたのであって、デジタルの世界では成り立たないのでは、という根本的な疑問)
 ・デジタルになることの利点とそれを生かせる利用の態様と権利保護との相克(どうやって折り合いをつけるのか)


☆金正勲(慶應義塾大学)

話は3点
1.電子図書館といっても、様々な形態がある。分類するための基準軸とその組み合わせについて
 公共-民間
 営利-非営利
 中央集権型-分散型
 開放-閉鎖

例えばGoogle Book Searchは民間-営利-中央集権-開放といった感じ。

2.Google Book Searchがもたらしたもの
 GBSが提起したのは、本質的にはopt-outを制度的に容認するかどうか、という問題。
 GBSはopt-outを採用した。

 要事前許諾 = opt-in → 利用者の負担大
 事前許諾不要 = opt-out → 権利者の負担大

 電子図書館の実現にあたって、どうするかという点では、
 opt-in、outにかかる費用便益分析が必要。
 一般に
 opt-in:権利処理費用=(利用する側の権利情報に関する)検索+(権利者の意向の)確認+(公開に向けての)交渉
 opt-out:権利処理費用=(権利者側の自分の著作に関する)監視+(利用者に対する)通知+交渉
 という費用がかかる。

→費用の負担主体が異なる。
 opt-in:コンテンツの利用者
 opt-out:権利者

 opt-in、outの議論をする際にはこの費用と便益の比較分析が必要。やり方としては個別に許諾、フェアユース、(権利の)集中管理、電子図書館を特例化、法定許諾制度・補償金制度といったものがある。

●費用負担が権利者側にあるというのは、オープンアクセスにおける著者負担モデルと似ていると思ったが大事なところで全然違うことに後から気がついた。著者負担モデルが、単に費用負担を著者側に移しただけであって、基本的に利用に先だって(事前に)支払が行われていなければ(オープンには)利用できないというのに対し、opt-outは補償金制度を設けたとしても、そうした対価の支払いは事後のことであり、費用負担以前に利用が開始できるという点で大きく異なる。そういう意味では金先生の言う通り、opt-outを容認するかどうかというのはコンテンツの利用という面からは非常に大きなポイントであろう。

3.韓国における取組
 96年から電子図書館に取り組む
 2000年に著作権法を改正。図書館内・図書館間の伝送、複製について図書館の免責を無制限に容認
 2003年再度著作権法改正。2000年改正では行き過ぎということでバランスをとるものに
 →図書館内と図書館間を区別。図書館間の複製には免責となるための条件を新設=発行後5年経過していることと補償金の支払い。図書館内においては、デジタル化はできるが、閲覧数を所蔵部数(あるいは許諾を得た数)に制限、アナログに出力する際に補償金を支払う(非販売資料は除く)、複製防止、暗号化、課金管理等の仕組みを設ける。

 補償金制度:電子図書館の推進と権利保護を目的。閲覧、複製は無料。出力時に5won/pageまたは20won/ファイル(1冊または1記事)。伝送権管理センターにて管理

 (電子図書館の)政策目的=デジタル化資料の利用と保有の推進、権利保護のバランス。
→提言:公共図書館の場合には、opt-outを採用し、補償金制度の導入をすべき。


●全体として整理されたわかりやすい議論であった。ただ話が少し早かった。時間の関係だと思うが。

☆津田大介(ジャーナリスト)

40代以上のライターはどうするか←仕事が減ってくる
作家になる/専門分野で第一人者となる/編集プロダクションをつくる

→書き手の収入と出版者の利益をどうするかが問題

音楽業界との比較
コスト構造の違い:CDの場合物理的コストは60円ぐらい。印刷された本は紙や印刷代が30~60%を占める。
本の場合にパッケージとコンテンツが一体化しているということの意味。複製もしにくい。

Twitterの経験から、リアルタイムをテキスト化することには価値がある。情報の仲介業としての役割があるのではないか。専門家の知識をコミュニティ化、SNS化していく

ipod=ライフスタイルの提案がうけた。本もライフスタイルを変えるような提案ができれば。

●正直だらだらだらっと話す感じで何処がポイントなのか非常につかみづらかった。ので記載が極小。

☆橋本大也(IT起業家、書評ブロガー)
書評ブロガ―として読み手であり書き手。
年間500冊ほど買ったりもらったり。その内2割ぐらいが献本。300冊読み200冊ぐらいをBlogに書く。フィードバックをもらう。

●自分が年間何冊買っているか気になった。まあ、週10冊も買ったりはしないので500には遠く及ばないが。

電子図書館ということだが、最大の電子図書館はインターネット。民間、市場ではデジタル化はどんどん進む。そうしたグローバルな環境の変化に対応して、公共図、出版者、著者の役割の再定義が求められている。

●この「役割の再定義」というのをもっと考えんといかんなあと思った。

提言
・教会的な物理的空間としての図書館
 情報による救済と癒しの場であってほしい。

・印税が9割になる出版モデル
 現状:数千部以下×1500円ぐらい×8~10%→1冊書いても100万以下。
 これでは食べていけない。年10冊以上書く人もいるが中身は薄い。
 デジタルで直販すれば、この構造が変わるのではないか。
 著作で生活できる人が増えれば、コンテンツが充実する。

・有益な書評が見つかる仕組みの構築
 はずれはひきたくない
 新聞書評は良いがアカデミズムの中の諸々があって一般にとっては枝葉末節な批判であることも。
 Amazonはひどい。信者やアンチが不当に評価を上げたり下げたりしている。
 本の面白さは、動機付け、未知のことがある、難易度、趣味が自分に適合していることなどによる。
 図書館は公共性を生かして書評を集約してほしい。

●はずれは引きたくないというのは同感だが、何が有益な書評かというのは難しい問題。例えば「情報考学」は書評の内容もさることながら、どろぶねが普段見ない本が紹介されることが多いので、そういう点でも有益。(でもそこから買った事は多分ないw)結局、実物見ないと買わないというアナログ世代。(ちなみに2009年に入ってからAmazonで買ったのは25冊だけでした。リアル書店ではもっと買ってる。)

・著者に、より多くのフィードバックがある世界
 紙だとなかなか得られない。ネットは感想が可視化されやすい。

・永久アーカイブとしてのNDL
 個人の記憶と記録としての電子アーカイブ、個人の人生の記録を永久保存する仕組みができるとよい。日本語のコンテンツをすべてアーカイブするなど。

●NDLに期待してはいけません。

●さてこの後が討論、ということなのだがいまいち盛り上がりきらなかった感がある。もう少し長く時間がほしかったのと、論点、出てきたことを整理してまとめていくことが必要だったなと。

岡本真(ARG・主催者)
このフォーラムの趣旨:googleの問題について。出版業界では現状への対応の話ばっかり。出版の未来を考えないといけない。出版業界でのこういうイベントで出てくるのは50代の人が多いが、ぶっちゃけ50代にとってデジタルは関係ない。50代がいるうちは出版者はなくならないから。でも30代やそれ以下にとってはどうか。長尾館長以外は若手で。産業構造、政策課題、情報技術がわかる現役の書き手を集めた。
まずは長尾館長から他の方のプレゼンについて

長尾:opt-in、outについてはもっと議論する必要がある。日本で補償金制度を導入できるような予算が確保できるか、権利者や利用者の間でコンセンサスが得られるか、JASRACに類似したようなものが作れるのか。音楽の世界は図書館に相当するものがない世界なので、図書館をいれたモデル化ができるか。
津田さんの話について、どういう流通モデルにするか。著者と出版者が利益を得られるようにしないといけない。紙の消費や印刷コストについては、環境問題やエネルギー問題としても考える必要があり、その点でもデジタル化は必要。
永久アーカイブとしてのNDLについて。数年前にすべてのWeb情報を収集することを目指したが、違法なコンテンツの問題などから頓挫した。その結果国に関係したWebを集めるということになったが、本当は網羅的にやりたいし、やる必要がある。

●JASRACモデルっていいのか?opt-outと補償金制度って一見良いようにも思えるのだが、JASRACを考えると手放しで賛成できないなあ。あ、これは長尾モデルでも同じか。権利・課金処理をするところがものすごい利権団体になりそうで。下手したら引用するにも金が要るとかいう世界になりかねないというのは考えすぎだろうか。

金:opt-in、outの議論が必要というのは同感だが、議論だけではどうか。既に隣の国では9年前から取り組んでいる。日本では今からスタート。このタイムラグの問題は大きい。
補償金は利用者が出すもので、予算的な問題はあまりないと考える。
コンセンサスというのは難しい問題だが、議論だけではなく政策的な判断が必要となってくる。日本ではすべての領域においてコンセンサスがないと物事が進まないが、それはすぐには変わらないので、政策的な働きかけをしていくことが必要ではないか。

●答えにくい時、もっと議論する必要がある、とまとめるのは常套手段。議論だけじゃだめで政策的判断が必要というのには激しく同意。その意味で、せっかく日経とか興味を示しているんだから、本気ならもっとうまく使わないと。あちこちで同じ話をするだけでは多分(良い方向には)進まない。

津田:日本においては権利が邪魔してきている。GBSについて個人的には賛同。流通の環境が変わってくる中で現行の制度では追いつかないモデルがいろいろ出てくるだろう。その時に権利者としては、権利を捨てる必要はないが、一旦保留するという態度も必要ではないか。そのうえでビジネスモデルとして乗れるものがあれば乗っていく。日本の出版業界からGBSのような新しいモデルの提案がないのが残念。Googleに全部持っていかれてしまう。政策的には対応力を持ってほしい。権利が流通の邪魔をしない、製作コストを下げる、という2点が政策的な課題だと思う。

●権利が「邪魔」というのは、著者がいうから許されるのであって他の人がいったら叩かれるのかもね。

橋本:GBSは出た時はすごいと思ったが、実際にはあんまり使っていない。
書籍はランダムアクセスには向いていないのではないか。他方でWebはランダムアクセスに向いており、実はGBSのようなものが進んでも文化的にはあまり問題ないのではないかと思うがどうか。

●これは実は最初の長尾館長の話(書物を解体するという)に関する重要な異議だと思うのだが、だれも触れなかった。残念。

金:デジタルの流通が進むことによって、1つの図書館が50、100の図書館の機能を果たせる。どこに住んでいても情報へのアクセスが可能になる。図書館がそのようなサービスを提供するというのは、図書館の持つ重要な、本来の役割だと思うので、その点でデジタル化には非常に意義がある。

岡本:こういうフォーラムを開くと、同じ議論になってしまうことがある。そうならないよう今後の論点となるものを決めたい。opt-in、outについて、NDLの近代デジタルライブラリーが15~16万冊のデジタル化された画像を提供している。これは著作権者を調査し、見つからないものは文化庁長官の裁定を受けて公開している。これが1冊あたり1255円、著者1人あたり2300円かかっているということである。こうしたデータを見ながら議論していく必要がある。
印税9割という話については、もし本当に9割になったら、明日からそれに全力投球する。今はそれよりもこうしたフォーラムを開く方がメリットがありそうだが、それが変わる。どうしたら90%になるか。

●結局論点の構築には失敗した感が。正直フロアからの質問とかいらんので、きちんと今日の成果(というものがあったかどうかわからないが)をまとめたほうがよかったのではと思う。次につなげるという点で。

橋本:基本的にはファンを作ることが必要。ファンのコミュニティに対して直販する。あとはテーマセントリックにやること。学術書やサブカルチャーの場合はニッチなテーマでもいけるのではないか。津田さんなんかファンをつかんでやっているのでは。

津田:90%といかないまでも50-50の関係にならないかと思っている。対等な関係。取材や訴訟リスクなど個人では難しいことを出版者や編集がやっている。個人だとこうした検証の機能がない。このような出版の機能を機能化して提供できるようにならないか。著者に対するエージェント、パブリッシングマネージメントのようなこと。

金:90%でもなんでも市場原理で決まるのであれば、どうでもよい。現状出版者が9割取るだけの価値がないというのなら出版者なしでやって成功事例ができれば、フォロワーが出てくる。議論だけしてもしょうがないのではないか。

フロアからの質問については、あまり興味がなかったので割愛。

●で、こうして追ってくると、最初の長尾館長の話はどこいったと。

●全体を通しての感想
●図書館と著者・出版者の間は遠い。本や出版、デジタルの未来を語ろうという時に、長尾モデルの提案は枕にしかなっていない(と感じた。議論の叩き台にもなれていないように思う)。
●デジタルな世界の「本」の未来について、図書館が関わりたいと思うならば、岡本さんの言ではないが、産業構造、政策課題、情報技術がわかる図書館員でなければ同じフィールドで議論できないだろう。とりわけ政策課題を意識できている図書館員は少ない(と思う)。
●ということで、図書館側は、こうした事態の進展に関してどうするのか。つーかどうしたらいいのか。放っておくと取り残されるだけではないか。といってまとまって対応できるわけでもなし。
●全体司会の方。ちょっと噛み過ぎでは(笑)

まあ、最後のは蛇足として、いろいろと考えることはありますよ。その意味で図書館業界内でのこの件に関する議論が足りない気がするな。それとも土屋先生みたいな意見がファイナルアンサーで、長尾館長が一人騒いでいるだけということなのか。
うーむ、まだよくわからん。

今日は午後休み

今日は午後休みにして、ARGフォーラムへいきます。

いまさらながらTwitterのアカウントをとりました。
http://twitter.com/dorobunemk2

万が一余裕があれば、フォーラム中も使って見ますが、多分そんな余裕はないと思います。
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